愛媛県には「現存天守12城」に入る松山城や宇和島城を筆頭に、有名な城や城跡が数多く残っています。
一般的に伊予八藩(いよはっぱん)と呼ばれる、宇和島藩・新谷藩・大洲藩・伊予松山藩・小松藩・今治藩・伊予吉田藩・西条藩の8つが、競い合うように城を築いたという歴史があるため、
そこを中心に見どころのある城や城跡が広がっているのです。
最近では、お城観光の記念として持ち帰る「御城印」が流行り、その界隈のコレクターから一般の旅行客にまで、幅広く受けています。
今回は松山城や宇和島城を含めた、特に名城として名高い下記の10の城を紹介させていただきます。
興味のある方は是非、愛媛旅行中のお城巡りの参考にしてください。
※記載情報などは閲覧日により変更されている場合があるため、公式サイト等をご確認ください。
【情報で愛媛を盛り上げる!愛媛においでたなもし!南海放送 RNBエンタメディア】
1.松山城(愛媛県松山市)※日本100名城のひとつ

松山城が鎮座する勝山の天守閣付近へは、リフトやロープウェイで登ることができます。

松山城のWEBサイト:https://www.matsuyamajo.jp/
松山城の歴史
江戸時代から現存する天守が立派で、「現存天守12城」の1つです。
落雷による焼失などで度々改修・改築が行われ、現在の姿になりました。
重要な門や櫓が沢山あり、難攻不落と言われた立派な構えを直に感じることができるでしょう。
創設者は羽柴秀吉の家臣・加藤嘉明で、関ヶ原の戦いなどで活躍した名将として今なお語り継がれています。
加藤嘉明が1602年頃に着工し約25年かけて築かれた城です。
江戸時代は松平氏が城主を務め、明治維新まで続きました
現在では、この加藤嘉明公をモデルにした松山城のマスコットキャラクター「よしあきくん」も松山城の応援で活躍しており、とても可愛い人気者です。
天守や櫓などの重要文化財観賞と共に、松山城のあちこちに居る「よしあきくん」を探すのも楽しめます。



松山城の見どころ
天守

写真は秋に開催される松山城観月祭「月のおもてなしin松山城」

松山城内に数多くある重要文化財の中で、最も見逃せないのがやはり天守です。
現在、江戸時代以前に建造された天守が現代に残っているのは全国で12城しかなく、これらは「現存12天守」と呼ばれています。
松山城の天守は、その誇り高き12天守の貴重なひとつなのです。
天守の標高が161mもあることから、平山城の中では一番高いことになります。
ここから見える夜景はポストカードのように美しく、特に素晴らしいと評判です。
紫竹門

本丸の裏側を防衛する門で、こちらも重要文化財です。
以前は紫竹が植えられていたことがあるために、この名で呼ばれています。
屋根には徳川の家紋・三つ葉葵が付いている点も注目です。
野原櫓

本丸の北側を防衛する櫓で、こちらも重要文化財に指定されています。
天守の原型とも言われる構造で、小さいながらも緊張感のある構えです。
二之丸史跡庭園


二之丸史跡庭園の大井戸遺構

二之丸史跡庭園は、松山藩主の邸宅跡に整備された史跡庭園で、昔の邸宅の間取りを柑橘類や草花、流水で再現し、大井戸遺構も公開されています。
「恋人の聖地」にも認定され、茶室(観恒亭など)では茶会なども開催され、四季折々の花々と歴史、文化が楽しめる庭園です。
二之丸史跡庭園入場は別途入場料が必要ですが、松山城にお越しの際は是非お立ち寄りください。
御城印
松山城では、登城記念のオリジナル御城印を販売しています。
歴代城主4家(加藤家・蒲生家・松平家・久松家)の家紋が全て捺された、贅沢な記念品です。
御城印集めが好きな方や、これからやってみようという方は是非お求めください。
松山城の情報
施設名……松山城
所在地……愛媛県松山市丸之内1
アクセス例……JR松山駅より「道後温泉行き」の市内電車に乗り、「大街道」にて下車。徒歩約5分
2.湯築城跡(愛媛県松山市)※日本100名城のひとつ



湯築城のWEBサイト:国史跡 道後公園湯築城跡
湯築城跡の歴史
松山市の道後公園にある城跡です。
中世伊予国の守護大名であった河野氏が現在の松山市北条地区の善応寺周辺から本拠地を移動し築城しました。
その後、河野氏当主が城を拡張・整備し、豊臣秀吉の四国攻め(1585年)で河野氏が滅亡するまで、約250年間伊予国の中心として使われた城です。
かつては名将・福島正則が城主であったこともありましたが、他の城に移った後に廃城され、残念ながら跡になってしまいました。
しかし、2002年には国の史跡として指定され、その高い価値は現在でも変わっていません。
湯築城跡の見どころ
道後公園の桜

300本以上のソメイヨシノが植えられており、見ごろのピークを迎える3月下旬~4月上旬にかけては、園内が桜でいっぱいになります。
満開時には屋台の出店が行われ、お花見の準備もできますね。
夜桜のライトアップも勿論美しく、跡になった今でも沢山の人を楽しませ続けてくれています。
道後温泉の湯釜(ゆがま)

道後公園の湯釜は、奈良時代に作られた、道後温泉の源泉の湧出口(湯口)として使われていた巨大な花崗岩製の石造りの釜です。
現在は「湯釜薬師」として道後公園内で祀られています。
一遍上人が河野氏の依頼により「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったことでも知られ、道後温泉本館ができるまで1000年以上使われ、道後の歴史を見守ってきた存在です。
道後公園展望台


松山市を一望できる展望台です。
城が残っていた時代には、河野氏一族や福島正則も同じ角度から町を見下ろしていたかもしれません。
湯築城資料館と武家屋敷



道後公園湯築城資料館は、伊予国の守護である河野氏の居城であった「湯築城跡」の発掘調査で出土した遺物や遺構を紹介する施設です。
公園内に復元された武家屋敷や土塁とともに、中世の武家文化や生活を学べる無料の歴史資料館です。
資料館では河野氏の歴史や城内の武士の暮らしをパネルや映像で解説されています。
伊予の国の守護であった河野氏を知ったり、湯築城の知見を深くするのには最適です。
武家屋敷は、湯築城内の武士たちの居住区(家臣団居住区と上級武士居住区)のあった辺りに、当時の面影を再現した建物です。
河野家臣団の暮らしぶりを体感できる史跡・観光スポットです。
2棟の武家屋敷が復元されており、等身大の人形が配置され、当時の武士の日常生活や食事、談笑する様子がリアルに再現されています。
湯築城跡の情報
施設名……湯築城跡
所在地……愛媛県松山市道後公園
アクセス例……JR松山駅より市内電車・伊予鉄道市内線5系統「道後温泉行き」で約20分の、「道後公園駅」からすぐ
3.今治城(愛媛県今治市)※日本100名城のひとつ

今治城のWEBサイト:https://www.city.imabari.ehime.jp/museum/imabarijo/
今治城の歴史
今治城は、関ヶ原の戦い後に築城の名手である藤堂高虎によって1604年に建てられました。
海水を引き込んだ広大な堀と、船入港を備えた先進的な構造が特徴です。
日本屈指の海城として名を馳せ、今は日本三大水城のひとつに数えられています。
石垣と内堀以外は取り壊しがありましたが、現在では再建され、凛々しく聳える天守や櫓が人気です。
今治城の見どころ
天守

再建された天守のため、厳密には藤堂高虎が築いたそれとは別物ですが、シンプルながらも立派な佇まいで充分見ごたえがあります。
付近に設置された藤堂高虎像を入れて撮影すると、賑やかな写真になるでしょう。
石垣と内堀
写真は今治城のお堀と海を繋ぐ水路の口で、ここより海水がお堀に流れ込みます。

今治城は、取り壊しと再建が繰り返されてきましたが、石垣と内堀だけはほぼ江戸時代のまま残っており、とても貴重なものです。
改修は何度かしているものの、水上に構えられた石垣の構えからは、確かな荘厳さを感じることができます。
勘兵衛石

正門の鉄御門に向かう土橋通った先に勘兵衛石があります。
縦約2.4メートル、横約4.6メートルで城主の力を見せつける為の特別な石です。
夜間ライトアップ

今治城では約100個の照明が天守や石垣に付いており、毎日、日没30分後から22時まで城全体が輝きます。
真っ暗な水上に橙色の天守がぼおっと浮かび、ずっと見ていても飽きないほど幻想的です。
今治城の情報
施設名……今治城
所在地……愛媛県今治市通町3丁目1-3
アクセス例……JR予讃線「今治駅」から、せとうちバス「今治営業所行き」に乗り換え→約9分で「今治城前」に到着
4.能島城跡(愛媛県今治市)

能島城のWEBサイト:https://www.oideya.gr.jp/spot-c/noshima/
能島城跡の歴史
かつては、村上水軍により築かれた海上の城でした。
その村上氏が豊臣秀吉との戦に敗れ、やがて海賊停止令が発表されます。水軍の歴史に終止符が打たれると同時に、能島城も廃城となってしまったのです。
城は無くなってしまいましたが、国の史跡に指定され、今でも度々話題になっています。
能島城跡の見どころ
遺構
能島城そのものは無くなり、今は跡だけになってしまいましたが、島のあちこちには、確かに水軍活躍の痕跡(遺構)を見つけることができます。
例えば数多く残る石垣や岩礁ピット(桟橋を固定するための柱穴)です。
岩礁ピットは400か所以上もあり、強い潮の流れも相まって、かつての水軍の熱気や水上に築城することの重要性に気付くことができるでしょう。
鯛崎島(たいざきじま)

鯛崎島は能島城跡の一部を構成する無人島で、戦国時代の能島村上海賊の本拠地の一部です。
能島城の一部として天然の要害で、激しい潮流に守られており、近くには「クジラのお礼参り」の民話が伝わるお地蔵様もあります。
村上海賊ミュージアム(能島城跡の近くにあります)


村上水軍の歴史に関する展示物や、甲冑・小袖の試着体験を楽しめる博物館です。
展望室からは能島城跡や瀬戸内海を一望でき、水軍の栄枯盛衰に思いを馳せることができます。
村上海賊ミュージアムのWEBサイト:村上海賊ミュージアム | 今治市 文化振興課
能島城跡の情報
施設名……能島城跡
所在地……愛媛県今治市宮窪町能島
アクセス例
クルーズ船により島に上陸し見学することができます。
国指定史跡 能島城跡 能島上陸&潮流クルーズ | 株式会社瀬戸内しまなみリーディング
5.甘崎城跡(愛媛県今治市)

甘崎城のWEBサイト:https://www.city.imabari.ehime.jp/kanko/spot/?a=222
甘崎城跡の歴史
村上水軍の拠点とされた海上の城のひとつです。
越智氏によって築かれた「日本最古の水軍城」として名高く、在りし日は大山祇神社の鎮護役として重用されました。
越智氏や藤堂氏など城主が様々に代わり、1608年に藤堂高虎が他の地へ移ったのを最後に廃城となってしまいましたが、現在では県の史跡に指定されています。
甘崎城跡の見どころ
海割れ現象

潮の満ち引きの差が大きい「大潮」の時期になると、引き潮の数時間だけ海底の砂浜や石塁が姿を現します。
史跡と大三島をそれらが繋ぎ、とても神秘的な道行きを体験できるでしょう。
春分と秋分の頃など時期が限定されるため、とても貴重です。タイミングが合えば是非来てみましょう。
岩礁ピット
こちらも能島城跡と同様、水軍城らしい柱穴(岩礁ピット)が島のあちこちに見られます。
引き潮時になると特に目立ってくるため、時間を合わせて探してみましょう。
甘崎城跡の情報
施設名……甘崎城跡
所在地……愛媛県今治市上浦町甘崎4661
アクセス例
甘崎城跡のある古城島へは、大潮の干潮時のみ年に数回海岸から現れる砂の道(海割れ)を歩いて渡ることができます。通常時は島に渡ることはできません。
潮が満ち始めるとあっという間に水没するため、時間に注意して戻ってください
6.来島城跡(愛媛県今治市)

現在は来島城の本丸跡には遊歩道の崩れにより近づくことができません。
写真の石垣跡のみを見ることができます。

来島にある「戦国時代の来島城想像図」を見ると、来島自体が村上水軍の要塞島だったことが分かります。


来島城のWEBサイト:https://www.city.imabari.ehime.jp/kanko/spot/?a=100
来島城跡の歴史
こちらも能島城・甘崎城と同様、村上水軍の拠点として活躍していました。
来島氏が6代にわたり160年間も本拠地としていましたが、関ヶ原の戦いで西軍側に就いたために敗戦し、所領没収の罰を受けたことで、そのまま廃城となってしまったのです。
現在では、「日本最大の海賊の本拠地」として親しまれています。
来島城跡の見どころ
村上神社


木造りの小さな社で、村上氏を祀るための神社と言われています。
来島村上水軍の守護神として信仰された神社です。
八千矛神社


来島城の守り神として河野氏が建立したとされる神社です。
来島村上氏ゆかりの村上神社と共に、来島を守護する国づくりの神や海の神を祀っている神社です。
御先神社

八千矛神社のすぐ隣にある厳かな神社です。
※海の中に立つ鳥居で有名な今治の御崎神社とは別の神社です。
心月庵(城主館跡)



心月庵は来島城主の館跡です。
現在は人の気配を感じづらく静まり返っていますが、厳かで緊張感のある佇まいに思わず立ち止まります。

心月庵の中には薬師如来が祀られており、未だに綺麗な畳と共に清潔に保たれています。
岩礁ピット




海上の城らしく岩礁ピットも無数に存在していて、かつての活躍の痕跡を垣間見ることができます。
岩礁ピットは海岸の岩場にある、桟橋を固定するための柱穴です。
村上水軍はこの穴に木を建て、そこに船を着けたのです。
荒波に幾度もぶつかり続け、次第に削られてきたため、もうすぐ見られなくなるかもしれません。
能島城跡・甘崎城跡のものと合わせ、こちらも是非目に焼き付けておきましょう。
来島城跡の情報
施設名……来島城跡
所在地……愛媛県今治市来島
アクセス例……
来島へは、波止浜港から渡し船に乗って上陸するか、しまなみ来島海峡遊覧船で付近を遊覧することができます。
(渡し船)
JR予讃線「波止浜駅」下車→波止浜港→渡船で5分
波止浜(今治)〜来島〜小島〜馬島
(しまなみ来島海峡遊覧船)
しまなみ来島海峡遊覧船 株式会社しまなみ
7.大洲城(愛媛県大洲市)※日本100名城のひとつ

大洲城のWEBサイト:https://ozucastle.jp/
大洲城の歴史

現在の大洲城の場所には、鎌倉時代末期に伊予宇都宮氏が地蔵ヶ岳城を築いていており、その歴史の長さや、近年に大洲の人々により天守を守り抜いた道のりが自慢です。
日本100名城のひとつにも数えられているお城で、大洲市のシンボルでもあり、大洲市を語るうえで外せない場所です。
鎌倉時代末期に築かれ、戦国時代に藤堂高虎や脇坂安治の力を得て初期の天守が造営されましたが、明治時代には天守が解体、その後平成時代に入ってからの10年間に及ぶ天守復元物語を目の当たりにでき、正確に再現された天守を始め、重要文化財の櫓が多数見られます。
大洲城を見学するうえで知っておきたいのが、天守復元までの歩みです。大洲城は明治期に、老朽化により天守を含む大部分が解体されました。しかし、古写真や木型の天守模型などの資料が残っていたため、それをもとに復元したのです。
平成6年に天守復元を目標に掲げてから、地元住民による保護活動や地道な寄付、宮大工たちによる、伝統工法を用いた左官工事や屋根工事などを重ね、10年後の平成16年にとうとう完成しました。
地元民の寄付や保護活動など地道な努力によって、平成の世にようやく天守復元が実ったのです。
大洲城の見どころ
天守

大洲城の天守は、復元前の写真や木型模型も資料としてしっかり残っており、解体から復元までの歩みが頻繁に語られています。
それらの物語を知った上での天守観賞は感動的で、地元住民や宮大工さんが如何に天守に拘ってきたかが伝わってきます。
4棟の櫓

大洲城には、重要文化財に指定される櫓があります。
台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓の4か所で、これらは天守の取り壊し時にも解体を免れたため、大洲城内で最も古い建物として残っているのです。
御城印
本丸横のグッズコーナーでは、大洲城の御城印も販売しています。
伝統工芸品である大洲和紙に、城主として長く居た加藤氏の家紋・蛇の目紋と上り藤の朱印が堂々と捺され、大洲市への尊敬と拘りを感じる1枚です。
登城記念に是非お求めください。
大洲城の天守閣に宿泊が可能!(大洲城キャッスルスティ)

なんと大洲城の天守内にも宿泊可能なのです!
貸し切りの天守に布団を敷いて寝たり、当時の城主が食べたとされる献立を味わったりできます。
また、大洲を治めた加藤家初代藩主・加藤貞泰の入城シーンの再現や、臥龍山荘を貸し切っての朝食など、宿泊者限定のプログラムも用意されている様です。
1泊2日(朝・夕食事付き)……ひとり660,000円
※予約は2名から可能です。増える場合は以下の代金が加算されるとのことです。
大人(中学生以上)……132,000円
小学生……66,000円
未就学児……44,000円
乳幼児(3歳以下)……無料
宿泊可能日は木造天守のため、8月と12月~2月以外の月に予約可能の様です。
また、年間30組限定での受付となっている様です。
※現状の営業日や営業時間は公式サイト等でご確認ください。
【公式】大洲城キャッスルステイ、その日私は城主になる
大洲城の情報
施設名……大洲城
所在地…… 愛媛県大洲市大洲903
アクセス例……JR予讃線にて「伊予大洲駅」下車→車で5分、徒歩なら20分で着
8.宇和島城(愛媛県宇和島市)※日本100名城のひとつ


宇和島城のWEBサイト:https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo/
宇和島城の歴史
宇和島城は藤堂高虎が築城し、その後伊達政宗の長男・秀宗が入城して以来、明治まで宇和島伊達氏9代の居城となりました。
現存12天守の一つで、別名「鶴島城」とも呼ばれ、石垣と平和な時代に建てられた天守のコントラストが特徴の城です。
建てられた当時は城の大半が海に面しており、攻守ともに戦に適した最強の海城でしたが、現在その部分は埋め立てられてしまっています。
しかし、「現存12天守」の仲間入りを果たしていることなど、今でも最強の名残をきちんと感じ取れるのです。
宇和島城の見どころ
天守

現存する貴重な12天守のひとつなので、絶対に見ておきたいスポットです。
白い漆喰が見事で、釘付けになります。
上り立ち門

城の南に位置する登城口です。
天守と並んでこちらも現存しており、藤堂高虎自身が建てたものと目されています。
御城印
天守では、登城記念の御城印を販売しています。
宇和島伊達氏の家紋「竹に雀」の朱印が凛々しく、記念品として最適です。
宇和島城の情報
施設名……宇和島城
所在地……愛媛県宇和島市丸之内1丁目
アクセス例……JR予讃線「宇和島駅」から徒歩約15分で到着
9.川之江城(愛媛県四国中央市)

川之江城のWEBサイト:https://www.city.shikokuchuo.ehime.jp/soshiki/30/3619.html
川之江城の歴史
南北朝時代の1337年、伊予の河野氏が細川氏の侵攻に備え、部将の土肥義昌に命じて築かせました。戦国時代には伊予・讃岐・阿波・土佐を結ぶ交通の要衝として争奪の的となりました。
戦国時代に加藤嘉明が城主となったのを最後に廃城となってしまいました。
川之江城は、元は城ではなく仏閣であったため、「仏殿城」とも呼ばれた珍しい場所でした。
現在の天守や櫓門などは昭和時代に突入してから再建されたもので、全く史実通りの復刻というわけではありませんが、立派な佇まいに圧倒されます。
川之江城の見どころ
天守閣

川之江城天守閣は市街地に接した標高62メートルの小高い山である鷲尾山(わしおやま)※通称城山、にあり市街地や燧灘を眺望することができます。
再建時の天守のモデルとなったのは愛知県の犬山城とされており、史実に沿った川之江城ではありません。
しかし、廃城・取り壊し後に再建されることは全ての城に共通することでは無く、ありがたい復活であることに変わり無いでしょう。
この模擬天守の堂々たる姿に足を止める人が、今日まで大勢居ます。
石垣

本丸の周囲には、僅かながら当時のままの石垣が残っています。
天守や櫓などの主たる建物は守られませんでしたが、少しでも名残に触れられるのは貴重なため、来た際には要チェックです。
川之江城の情報
施設名……川之江城
所在地……愛媛県四国中央市川之江町1087-4
アクセス例……JR予讃線「川之江駅」下車→徒歩17分で到着
10.河後森城跡(愛媛県北宇和郡松野町)

河後森城のWEBサイト:https://www.town.matsuno.ehime.jp/site/kagomorijou/
河後森城跡の歴史
河後森城は愛媛県と高知県の県境にあったとされ、周囲を流れる3本の川が特徴的です。
渡辺氏や桑折氏の居城として機能しましたが、1615年の一国一城令の発表に伴い、惜しくも廃城になりました。
現在は国の史跡に指定され、一部建物の復元や御城印販売も行われるなど、盛んな活動を見せています。
河後森城跡の見どころ
雄躑躅(オンツツジ)

普段は静かな山城跡ですが、春になると自生のオンツツジで一面覆われます。
真っ赤な花は見ごたえがあり、今でも沢山の観光客が集まる時期です。
遊歩道が整備されていて歩きやすいため、オンツツジを観賞しながらの散歩は特におすすめです。
石垣や柱穴

河後森城は無くなってしまいましたが、平成3年度より本格的な発掘調査に乗り出し、数々の遺構を発見することができました。
曲輪の至るところに柱穴があり、更には石垣や井戸跡も見え出したのです。
これらの遺構から、城があった当時の名残を少しでも感じ取ることができるでしょう。
御城印
跡になってしまったとはいえ、御城印の販売があるのは嬉しい限りです。
旅の記念に是非1枚お求めください。
河後森城跡の情報
施設名……河後森城跡
所在地…… 愛媛県北宇和郡松野町松丸・富岡地内
アクセス例……JR予土線「松丸駅」下車→徒歩1分で到着
愛媛県の城と城跡10選のまとめ
以上、愛媛県で特に名の通った10の城および城跡を簡単にご紹介しました。
それぞれに感動的な歴史や意外な見どころがあり、驚かれた方もいるのではないでしょうか。
名城の多さ
愛媛県では、松山城・湯築城跡・今治城・大洲城・宇和島城が日本100名城に数えられており、ひとつの県で5つも選出されているのです。
これは長野県・兵庫県と並んでトップの数であり、愛媛県が如何に名城の宝庫であるかが一目で分かります。
現存12天守に入っているものは勿論ですが、取り壊し後に当時のままを微細に再現しようと再建設に心血を注いだ大洲城や、ライトアップが見どころの今治城など、いずれも天守の魅せ方に物語があり、素晴らしく感動します。
優れた海城
瀬戸内海を臨む県ならではの海城の多さや、それに伴う海賊の栄枯盛衰などロマンチックな歴史を沢山勉強できるのも、愛媛県ならではです。
築城の名手・藤堂高虎の奔走により築かれた水上の城の数々は、「天然の堀」を武器に戦で大活躍し、岩礁ピットなどの遺構からも、彼と海賊たちの頑張りの名残を拾うことができます。

城や城跡を巡ったのち、「村上海賊ミュージアム」での展望台や甲冑体験を通せば、更に追体験が可能で、彼らと心をひとつにできるでしょう。
愛媛県内には、上に挙げた10選以外にも、数多くの城が点在しています。
天守や櫓が残っているところは無論、跡になってしまったところでも、それぞれ花がいっぱいに咲き誇り、季節のイベントの開催や御城印の授与など、今でも沢山の工夫がなされているのです。
愛媛県の城に少しでも興味を持てた方、お散歩や写真・御城印集めの趣味をお持ちの方、遺構から当時の空気を感じたい方、海賊や水軍が好きな方、どんな方でも大満足の城巡りになること間違いありません。是非お越しください!


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