愛媛県大洲市は、歴史情緒がお好きな方には日本屈指の観光地です。
大洲市は、日本100名城にも数えられる「大洲城」を始めとした歴史的建造物や、江戸・明治時代の建物をそのまま残した道などが多い「伊予の小京都」と呼ばれる街です。
そんな大洲市は持続可能な観光地の国際認証団体「グリーン・デスティネーションズ」が発表する「世界の持続可能な観光地」の「文化・伝統保全」部門にて、国内初の世界1位を獲得しました!
この賞についての詳細や、なぜ大洲市が選ばれるに至ったのか、文化や観光地などにも触れつつ大洲をご案内していきます!
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No.1の秘密に迫る!祝 世界一の観光地 大洲【2023年4月16日放送分】|もぎたてテレビ|
※記事内容は2024年5月15日時点のものとなります。営業時間や定休日などは閲覧日により変更されている場合があるため、各公式サイト等をご確認ください。
世界の持続可能な観光地で世界1位に!
グリーン・デスティネーションズ
グリーン・デスティネーションズとは、持続可能な観光の国際基準を作ることを目的として発足された団体「世界持続可能観光協議会(GSTC)」が新たに開発した、国際認証団体のひとつです。
このグリーン・デスティネーションズは、持続可能な観光地の国際基準(景観や文化の保全、エネルギーの削減など)を設けており、これを満たしている地域や、満たそうと努力している地域を「世界の持続可能な観光地TOP100選」として毎年発表しています。
持続可能な観光の基準は、「その地域の自然や文化・伝統・環境などを保全しながら、観光客を受け入れ、経済を発展させる」ということです。
この点をクリアしてTOP100選に入れば、認証マークの活用や専用ホームページ上での国際的なPRができるようになります。
アメリカやヨーロッパ・オーストラリアなどの、各国の大手旅行会社では、ここに選ばれた国や地域を優先的に紹介しているため、ノミネートされれば外国人観光客が更に増える可能性があるのです。
世界の持続可能な観光地TOP100選 日本の選出・受賞歴
180以上の国が参加した、2023年の「世界の持続可能な観光地TOP100選」では、日本から10の地域が選出されました。
1. 愛媛県 大洲市
2. 神奈川県 箱根町
3. 岩手県 釜石市
4. 香川県 丸亀市
5. 京都府 宮津市
6. 徳島県 三好市
7. 長野県 小布施町
8. 熊本県 小国町(阿蘇郡)
9. 北海道 弟子屈町
10. 鹿児島県 与論島
の、10地域です。
この中で大洲市が、日本初の世界1位に選ばれました。
また、「世界の持続可能な観光地TOP100選」では更に、観光への優れた取り組みを6つの部門に分けて表彰する制度「ザ グリーンデスティネーションズ ストーリーアワード」を設けています。
◎観光地のガバナンス体制の構築、観光地の再生
◎自然・景観
◎文化・伝統保全
◎観光地のコミュニティー形成
◎環境保全・気候変動対策
◎ビジネス・マーケティング
の6つから成り立っており、今回大洲市が1位を獲得したのは「文化・伝統保全」の部です。
ちなみに、2023年以前も「世界の持続可能な観光地TOP100選」の発表は毎年ありましたが、過去の日本の選出・受賞率は、実はそこまで高くありませんでした。
・2017年……なし
・2018年……なし
・2019年……なし
・2020年……
◆岩手県 釜石市……ファイナリストに選出
・2021年……なし
・2022年……
◆岩手県 釜石市……当時の部門「コミュニティー・文化部門」にて世界3位
◆鹿児島県 奄美市……当時の部門「自然・エコツーリズム部門」のファイナリスト
◆熊本県 阿蘇郡……「自然・景観部門」のファイナリスト
・2023年……
◆愛媛県 大洲市……「文化・伝統保全の部」にて国内初の世界1位
◆熊本県 小国市……「観光地のガバナンス体制の構築、観光地の再生」にて世界3位
◆熊本県 阿蘇郡……「自然・景観の部門」にてファイナリスト
過去の分を見てみると、2017年~2019年までの3年間と2021年において、日本はひとつも受賞していません。
近年でも、第3位に留まることが多かったため、大洲市の1位は国内初の快挙です。
大洲市の取り組みについて
大洲市が「文化・伝統保全の部」において世界1位に輝いたのは、市が空き家や古民家問題に取り組んだことが大きな理由となっています。
大洲市は、大洲城や肱川(愛媛県最大の河川)を中心に城下町が広がり、江戸~明治時代の歴史的な建造物が多く残された場所です。
しかし、若者の都会進出などの影響で人口減少が進み、次第に空き家が増えてきたことが課題になっていました。
空き家が多くなると景観や安全性、地域全体の活気などにも影響が出てしまい、取り壊すのにもコストがかかります。
そこで大洲市は、この空き家を宿泊施設やお店に改修して活用することにしました。
現在、空き家をリフォームした分散型ホテル「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」や、その他レストランやカフェなど、空き家を使ったさまざまな施設がオープンしています。
市内に点在している空き家・古民家を改修して新しい施設にしたことで多くの観光客が集まり、地域の活性化にも結び付きました。
このように大洲市は、歴史的な建築物やもともとあったものを、壊すのではなくリフォーム+活用しています。
町並みを保全しつつ集客をしたことが、今回の受賞につながったと言えるでしょう。
大洲市について
大洲市は愛媛県の南予地方に位置します。
肱川や、形が富士山に似ている「冨士山(とみすやま)」などの自然に囲まれた城下町です。
肱川と冨士山の畔には大洲城があり、ここを中心に町が広がっています。
また、町屋や武家屋敷などの古い家並みが残されていることから、「伊予の小京都」とも呼ばれています。
大洲市の気候
大洲市は、周囲を山地や丘陵に囲まれた盆地のため、年間を通して湿度が高く、霧が発生しやすいという特徴を持ちます。
この霧が肱川を下り、冷たい強風となって河口を吹き抜ける「肱川あらし(※古くは肱川おろし)」は、主に初冬の朝に見られる現象です。
冬場も基本的に温暖ですが、強い寒波が来ると雪が降りやすく、20~30㎝ほど積もることもあります。
大洲市の花木
大洲市の花は「つつじ」です。
昭和49年に制定されました。
冨士山公園周辺では、毎年春になると6万本以上のつつじが咲き誇り、つつじの名所として親しまれています。
また、4月下旬~5月中旬にかけては、「つつじまつり」も行われます。
大洲市の歴史
大洲市は、肱川に沿って続く城下町です。
築城の名手・藤堂高虎や、名将・脇坂安治によって整えられました。
主に手すき和紙や製糸業などで栄え、現在でも大洲和紙、伊予生糸などが作られています。
また、「明治の家並み」「おはなはん通り」などには、明治~大正時代の町並みが残っており、かつて坂本龍馬が脱藩の際に訪れたとされる通りや、道の石張舗装もそのままになっています。
ほかにも歴史的な建造物は多く残されていますが、特に大洲城は重要文化財に認定された櫓や、忠実に再現された天守などがあることから、町のシンボルとして親しまれています。
江戸時代の大洲
大洲市は江戸時代、大洲藩に属していました。
領主及び藩主は藤堂高虎→脇坂安治→加藤貞泰と移り、陽明学者の中江藤樹なども大洲藩から出ています。
加藤氏は明治に入って廃藩置県が施行されるまでの間、12代にわたって大洲を治めました。
明治~大正時代の大洲
明治時代に入ると城下町が発展、また臥龍山荘も完成し、大洲市はより大きな繁栄を見せました。
しかし、大洲市の象徴でもある大洲城は、老朽化などにより、この時期に天守が解体されています。
また、このときに撮影された写真が、後に天守を再建するのに役立つことになります。
昭和時代の大洲
昭和21年に昭和南海地震が起き、大洲市も被害の対象となりましたが、津波などを乗り越え、少しずつ復興しました。
大洲市の花が「つつじ」に決まったのは、ここから28年後の昭和49年です。
平成時代の大洲
市の花の制定から19年後の平成5年、今度は市のシンボルマークが決定しました。
先に記した、加藤氏の家紋「蛇の目」をモチーフとしたものです。
また、平成に入って、明治に取り壊された大洲城の天守が復元されました。
平成6年に大洲城天守閣再建検討委員会が発足されてからおおよそ10年の歳月がかかりましたが、解体当時撮影された写真や天守のひな型を元に、職人たちが息を合わせて完成させたのです。
大洲市の文化~伊予の小京都~
大洲市の「明治の家並み」「おははなん通り」には商屋や古民家・武家屋敷が残っており、城下町文化を感じることができます。
また、大洲城や臥龍山荘を始めとした歴史的建造物や、「大洲のうかい」も大洲市の伝統的な文化です。
大洲のうかい
うかい(鵜飼い)とは、鵜を使って鮎を獲る伝統的な漁法です。
特に大洲のうかいは、大洲市の夏の風物詩として親しまれており、日本三大鵜飼のひとつにも数えられています。
伝統衣装を着た鵜匠が鵜を操り、かがり火を焚いた夜の川で鮎を捕まえるのです。
これは、古事記や日本書紀にも残る古い方法を参考にしていて、小舟の上で巧みに鵜を操る様子が迫力満点です。
また、6月~9月にかけては、船上で食事を楽しみながら大洲のうかいの様子を見学できるイベントもあり、毎年多くの観光客でにぎわいます。
城下町の風景
大洲市には江戸や明治の家並みが今なお残っており、古き良き城下町の雰囲気があります。
例えば、散策コースとして知られる「おはなはん通り」は、商屋や武家屋敷が立ち並び、すぐそばの「明治の家並み」には大正時代の土蔵なども残っていて、昔の町割を強く感じられるでしょう。
大洲市が「伊予の小京都」と呼ばれる所以です。
大洲市の観光
大洲城※日本100名城のひとつ
日本100名城のひとつにも数えられているお城で、大洲市のシンボルでもあり、大洲市を語るうえで外せない場所です。
鎌倉時代末期に築かれ、明治時代には天守が解体、その後平成時代に入ってからの10年間に及ぶ天守復元物語を目の当たりにでき、正確に再現された天守を始め、重要文化財の櫓が多数見られます。
大洲城を見学するうえで知っておきたいのが、天守復元までの歩みです。大洲城は明治期に、老朽化により天守を含む大部分が解体されました。しかし、古写真や木型の天守模型などの資料が残っていたため、それをもとに復元したのです。平成6年に天守復元を目標に掲げてから、地元住民による保護活動や地道な寄付、宮大工たちによる、伝統工法を用いた左官工事や屋根工事などを重ね、10年後の平成16年にとうとう完成しました。
また、大洲城ではこの復元天守に宿泊できる「キャッスルステイ」というサービスも提供しています。貸し切りにした天守に布団を敷いて眠ることができるほか、大洲藩の藩主たちが食したであろうこだわりの和食や、晩酌体験なども可能です。
更に城主気分を高めるためのイベントとして、大洲藩主・加藤貞泰の入城シーンの再現や、伝統芸能の鑑賞などもあり、贅沢なひと時を過ごせるでしょう。
大洲城の歴史
現在の大洲城の場所には、鎌倉時代末期に伊予宇都宮氏が地蔵ヶ岳城を築いていており、その歴史の長さや、天守を守り抜いた道のりが自慢です。
戦国時代に、藤堂高虎や脇坂安治の力を得て初期の天守が造営されましたが、明治維新後には老朽化などにより、一部を除いて解体されてしまいました。
しかし、地元民の寄付や保護活動など地道な努力によって、平成の世にようやく天守復元が実ったのです。
この間実に10年もあり、地域住民と天守の強い結び付きが感じられます。
大洲城の天守
大洲城の天守は、復元前の写真や木型模型も資料としてしっかり残っており、解体から復元までの歩みが頻繁に語られています。
それらの物語を知った上での天守観賞は感動的で、地元住民や宮大工さんが如何に天守に拘ってきたかが伝わってきます。
大洲城の4棟の櫓
大洲城には、重要文化財に指定される櫓があります。
台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓の4か所で、これらは天守の取り壊し時にも解体を免れたため、大洲城内で最も古い建物として残っているのです。
大洲城の御城印
本丸横のグッズコーナーでは、大洲城の御城印も販売しています。
伝統工芸品である大洲和紙に、城主として長く居た加藤氏の家紋・蛇の目紋と上り藤の朱印が堂々と捺され、大洲市への尊敬と拘りを感じる1枚です。
登城記念に是非お求めください。
大洲市立博物館
大洲市の歴史や文化・民俗・産業などに関する資料が見られる博物館です。
例えば、大洲市の年表や、加藤氏・脇坂氏など大洲藩ゆかりの人物についての資料などさまざまです。
時々、体験学習や講座も行われており、質問や相談なども随時受け付けています。
大洲市立博物館公式サイト:https://www.ozu-museum.com/
青島~猫島~
青島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。
島民よりも猫の数が多いことから、「猫島」「猫好きの聖地」などと呼ばれています。
黒・白・三毛などさまざまな色の猫が集まっており、ピーク時は200匹以上もいました。
定期船を降りた瞬間からたくさんの猫が集まって来てくれて、特定のエサやり場でエサをあげたり、猫と遊ぶ用のおもちゃで一緒に遊んだりできます。
なお、島にはコンビニやスーパー・自動販売機などもないため、観光で立ち寄る際にはお昼ご飯やおやつ・飲み物を準備しておく必要があります。
瑞龍寺
瀬戸内海を一望できる、風光明媚なお寺です。
重要文化財である木造十一面観音立像は約900年前のものと言われており、国の重要文化財に指定されています。
また、春になると境内一帯が桜に覆われるため、桜の名所としても知られています。
毎年4月17日の春季大祭のときにだけ御開帳が行われるので、春の境内は大変な賑わいです。
一方、秋の紅葉シーズンも、落ち着いた風情の中で散策できる・静かな気持ちで参拝できるとして、多くの人が集まります。
大洲神社
大洲城の東側に建てられた神社です。
御祭神は大國主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)で、商売や安産・福徳の御利益があるとされています。
新年祭や新嘗祭などの基本的な祭事のほか、愛媛県唯一の十日ゑびす祭り(七福神のひとり「恵比寿」さまの神社にて商売繁盛を祈るお祭り)が催されます。
おはなはん通り
おはなはん通りは、江戸時代の家並みが残された場所で、武家屋敷や商屋などが立ち並んでいます。
昭和41年に放送されたNHKの連続テレビ小説『おはなはん』の舞台になったことから、この名前で呼ばれるようになりました。
ちなみに、北側の蔵並びが商屋、南側が武家屋敷です。
また、おはなはん通りはほかの通りよりも広く作られています。
理由としては、「藩主の別邸へのお成道として使用されていたから」「北側の商屋で火事が起こった際に、南側の武家屋敷に移らないようにするため」などの説が有力です。
明治の家並み
明治時代に建てられた家が多く残る通りです。
おはなはん通りに対し、こちらは養蚕と製紙の産業で栄えた当時の建物がメインで、土蔵がたくさん並んでいます。
また、坂本龍馬が脱藩の際に立ち寄ったと言われる店があったり、ドラマ・映画の撮影やロケで多く使われたりしていることから、映画の登場人物になった気分を味わえる場所でもあります。
おおず赤煉瓦館
明治34年に大洲商業銀行として建てられた、煉瓦建築が特徴の施設です。
銀行としての機能をなくした現在でも取り壊しをせず、伝統工芸品や特産品の展示会を行ったり、カフェを併設したりし、観光客向けのスポットになっています。
イギリス積みの煉瓦建築で和洋折衷な雰囲気があり、城下町とは一味違った大正ロマンを感じられるでしょう。
本館の1階が地元作家による手作りの特産品・工芸品・アクセサリー・和小物などのショップ、2階がギャラリー兼休憩所となっており、カフェでのんびり過ごすことができます。
臥龍山荘
おはなはん通りを抜けていくと、「数寄屋建築の傑作」「粋を極めた名建築」と名高い臥龍山荘に到着します。
臥龍山荘は明治40年、肱川のほとりに完成しました。
夏は新緑、秋は紅葉が水面に映り、景勝地として多くの人々に愛されています。
名勝地として文化財に指定されており、国指定名勝となった「臥龍山荘庭園」や、浴室を改造して建てられた茶室などが見られます。
「臥龍」と名付けたのは大洲藩の3代藩主である加藤泰恒(かとうやすつね)で、蓬莱山が龍の臥す姿に似ていることからこのように呼んだと言われています。
現在の臥龍山荘は、明治時代の豪商・河内寅次郎(こうちとらじろう)が余生を過ごすために10年かけて築造したものです。
また、臥龍山荘の内部は臥龍院(がりゅういん)・不老庵(ふろうあん)・知止庵(ちしあん)の3つの建造物から成り、庭園や冨士山(とみすやま)、肱川を眺めることができます。
臥龍院
臥龍山荘内の母屋です。数寄屋造りになっていて、河内寅次郎が最も情熱を注いだと言われています。
風通しが良く夏向けの「清吹の間(せいすいのま)」、格調高い書院座敷である「壱是の間
(いっしのま)」、違い棚を霞に、丸窓を月に見立てた「霞月の間(かげつのま)」など、こだわりの空間が多数あります。
不老庵
臥龍淵を眼下に見る崖の上に建てられた、数寄屋造りの建造物です。
庵そのものを船に見立てて作っており、冨士山右端からの月明かりが天井に反射して部屋が明るくなるなどの創意工夫がされています。
知止庵
臥龍院と同じ時期に浴室として建てられましたが、その後茶室に改造されました。
大洲藩出身の陽明学者・中江藤樹の説いた「知行合一」の教えからこの庵名が生まれたとされています。
ポコペン横丁
ポコペン横丁は、昭和30年代のレトロな雰囲気をイメージして作られた商店街です。
駄菓子屋さんや、ベーゴマ・竹馬・射的・スーパーボールすくいを始めとしたゲームなど、懐かしさを感じるものが集まっており、「大洲まぼろし商店街1丁目」という別名もあります。
駄菓子屋さんにはフライドポテトやヨーグルト・むしパンケーキなどが置いてあり、スーパーやコンビニで見かける駄菓子とは違う、手作りのおやつが楽しめます。
また、おにぎりや中華そばなどの軽食を売っているお店があるため、ここでランチを済ませることも可能です。
昭和30年代にタイムスリップしたかのような気分になれる人気の観光スポットですが、営業日が毎週日曜日(※12月~3月は第3日曜日のみ)の10時~15時30分に限られているので、遊びに行く際は曜日のチェックを忘れないようにしましょう。
思ひ出倉庫
「思ひ出倉庫」は、ポコペン横丁の奥にある有料施設(大人200円/子供100円)です。
まぼろし商店街2丁目とも呼ばれ、昭和の家庭の様子を再現した空間や、車やおもちゃの展示などがあり、懐かしいものにたくさん触れられます。
また、昭和30年代の薬局やたばこ屋さん、交番や床屋さんなどが立ち並び、ポコペン横丁以上にディープな空間です。
なお、こちらもポコペン横丁と同様、4月~11月は毎週日曜日、12月~3月は第3日曜日のみの営業のため、観光前にしっかりチェックしましょう。
冨士山公園
大洲盆地の中央には「冨士山(とみすやま)」と呼ばれる、富士山(ふじさん)と似た山があります。
冨士山公園は冨士山の山頂付近に位置し、肱川や大洲盆地を見下ろせたり、春には満開のつつじが見られたりします。
つつじは4月の下旬ごろから咲き始め、満開になると山が赤やピンクの帽子を被ったように見えるでしょう。
また、つつじの見頃に合わせて「つつじまつり」も開催されます。
期間は毎年4月下旬~5月中旬頃までです。
少彦名温泉 大洲臥龍の湯
肱川沿いにある温泉施設です。
肱川での鵜飼いやいもたきを始めとした、大洲市の風物詩を一望できる臥龍の淵に位置します。
露天風呂やサウナ・岩盤浴、お遍路さんのための足湯、また、珍しい「歩行湯(ほこうよく)」などがあります。
歩行湯では、ぬるめのお湯の中をウォーキングすることができ、ダイエットやカロリー消費に最適です。
少彦名温泉 大洲臥龍の湯公式サイト:https://www.garyunoyu.com/index.html
盤泉荘 (旧松井家住宅)
盤泉荘(ばんせんそう)は、マニラでの貿易事業で巨万の富を得た松井國五郎氏によって、大正15年に建てられた別荘です。
3階建てになっていて、窓からは大洲の町並みや肱川を眺められます。
また、当時の日本の建築としては珍しくバルコニーが設けられていたり、松井國五郎氏のイニシャルである「K.M」が彫られた瓦があったりと、国際性を感じられるデザインです。
明るく解放感のある座敷や、長大な一枚板が20枚連続で続く廊下、日本庭園や展示蔵など多くの見どころがあります。
長浜大橋
長浜大橋は、肱川の河口にかかる日本最古の開閉橋です。
完成当初はネズミ色でしたが、今は橋全体が赤い色をしているため「赤橋」とも呼ばれています。
漁船が通る際に橋がゆっくり開く様子を見ることができるほか、夏季(7月~9月)の夜間(19時~21時)限定でイルミネーションが点きます。
また、2014年には、国の重要文化財に指定されました。
大洲まちの駅「あさもや」
おはなはん通りのすぐ横にある駅です。
お土産屋さん・レストラン・観光案内所などが集まっており、人力車もあります。
この人力車を利用すると、大洲市の歴史や文化について解説してもらいながら、観光地を巡ることができます。
おはなはん通りを気軽に進むコースや、臥龍山荘まで行けるコースなど多数です。
大洲市の宿「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」と「大洲城に宿泊」について
近年、町屋・古民家などの空き家が増えることで、景観保護への悪影響や、取り壊しのコストが発生することが懸念されています。
しかし、大洲市ではそのような歴史ある建物を改修し、そこを宿泊施設にするという方法で文化・伝統を引き継いでいます。
NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町
「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」は、大洲市内の古民家を改修して建てられたホテルです。
大洲城を中心としてフロントや客室・レストランなどが点在する、「分散型」の宿泊施設となっています。
また、江戸後期から明治中期に建てられた長屋群である「村上邸長屋群」の一帯も工事が行われ、2021年に新たな客室としてオープンしました。
チェックインは15時〜20時、チェックアウトは12時の様です。
定員は2名~6名くらいの様で、料金は30,000円前後~83,000円前後の様です。
※現状の営業日や営業時間は公式サイト等でご確認ください。
大洲城の天守閣に宿泊が可能!?
なんと大洲城の天守内にも宿泊可能なのです!
貸し切りの天守に布団を敷いて寝たり、当時の城主が食べたとされる献立を味わったりできます。
また、大洲を治めた加藤家初代藩主・加藤貞泰の入城シーンの再現や、臥龍山荘を貸し切っての朝食など、宿泊者限定のプログラムも用意されている様です。
1泊2日(朝・夕食事付き)……ひとり660,000円
※予約は2名から可能です。増える場合は以下の代金が加算されるとのことです。
大人(中学生以上)……132,000円
小学生……66,000円
未就学児……44,000円
乳幼児(3歳以下)……無料
宿泊可能日は木造天守のため、8月と12月~2月以外の月に予約可能の様です。
また、年間30組限定での受付となっている様です。
※現状の営業日や営業時間は公式サイト等でご確認ください
愛媛県大洲市まとめ
いかがでしたでしょうか。
大洲市は空き家・古民家を宿泊施設やお店に改修することに尽力し、もとの景観を残しながら観光客を増やしてきました。
結果として、「世界の持続可能な観光地TOP100選」にノミネートされ、「ザ グリーンデスティネーションズ ストーリーアワード」の「文化・伝統保全の部」では世界1位を受賞することもできたのです。
国際公式認証機関である「グリーン・デスティネーションズ」に認められたことで、今後は海外の大手旅行会社も、日本の旅先として大洲市を優先的に手配する可能性が高まりました。
国際的な基準をクリアした大洲市は各国から注目され、これからも観光客が増えることでしょう。