正岡子規は愛媛県松山市で生まれ育ち東京で活躍した偉人として有名です。
子規と言えば「俳句」ですよね。子規は俳人であり近代俳句や短歌の革新者と言えます。
他にも文学評論家であり、新聞記者時代の時には日清戦争時に従軍記者として軍に随伴するなど多彩な活躍をした人物です。
子規が自分で詠んだ俳句だけでも25,000句程あると言われており、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
春や昔十五万石の城下かな
若鮎の二手になりて上りけり
などはどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?
近年司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」がドラマ化され、登場人物の一人である子規の人気も再燃した感があります。
この記事は、今でも残る正岡子規にゆかりの深い愛媛県松山市の施設等についてご紹介させていただきます。
この記事を読んだ方は、是非下記の記事もお読みください!
正岡子規の東京名所足跡めぐり5選_愛媛が生んだ偉人の東京の家やお墓について
「秋山兄弟」「坂の上の雲」の愛媛県観光スポットめぐり_県外施設や関連する学校もご紹介!
【情報で愛媛を盛り上げる!愛媛においでたなもし!南海放送 RNBエンタメディア】
- 正岡子規は愛媛県松山市で生まれ育ち、東京都で活躍し亡くなりました
- 正岡子規の愛媛県松山市の名所について
- 子規堂 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その1)
- 松山市立子規記念博物館 (正岡子規の愛媛県松山市の名所その2)
- 坂の上の雲ミュージアム 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その3)
- 子規誕生地跡と子規旧邸跡碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その4)
- 子規の野球ユニフォームの銅像(正岡子規の愛媛県松山市の名所その5)
- の・ボールミュージアム 野球歴史資料館(正岡子規の愛媛県松山市の名所その6)
- 子規の花通り(正岡子規の愛媛県松山市の名所その7)
- 愚陀仏庵跡地と愛松亭(正岡子規の愛媛県松山市の名所その8)
- 松山市立番町小学校の子規旅立ちの像と句碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その9)
- JR松山駅前の正岡子規句碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その10)
- 子規が愛した、子規とゆかりの深い松山市の有名な観光地について
- 愛媛県松山市の正岡子規名所15選のまとめ
正岡子規は愛媛県松山市で生まれ育ち、東京都で活躍し亡くなりました

愛媛県松山市は子規の生まれ故郷であり、松山市には今でも子規の足跡が感じられる場所や施設がたくさんあります。
松山市にはいたるところに俳句ポストがあり、松山市民は現在でも俳句に慣れ親しんでいます。
毎年夏には日本全国の高校生が俳句詠みを競い合う「俳句甲子園」も松山市で開催されます。
松山市の小学校では未だに夏休み等の宿題として「俳句を自作する」という文化も根付いています。
松山が未だに俳句が盛んで俳都松山と呼ばれるのも、子規の生まれ故郷という環境が大きく関与しているのは間違いありません。

そんな子規ですが、愛媛県松山市で武士の子として生まれ育ち明治維新を迎え、その後東京に移り生涯を通じて俳句等の活躍をしました。
正岡子規の愛媛県松山市の名所について
子規の生まれ故郷である愛媛県松山市の子規に関連する名所についてご案内させていただきます。
松山市には子規と関係が深い施設や名所がたくさんあります。
松山市内に子規の俳句を刻んだ石碑や子規の像等はいたるところににありますが、下記が特に子規をよく知ることができる施設なので、是非お立ち寄りくださいね。
子規堂 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その1)




子規堂は愛媛県松山市の正宗寺の中にあり、子規が17歳まで過ごした松山の邸宅を模して建てられた木造平家建の建物です。子規が使っていた机や遺墨、遺品、写真など展示が充実しています。
その他にも子規の当時の書斎が再現されていたり、子規にまつわる物が多く子規ファンは満足できる場所です。伊予鉄の松山市駅から徒歩すぐです。
住所 愛媛県松山市末広町16-3
松山市立子規記念博物館 (正岡子規の愛媛県松山市の名所その2)

正岡子規の歴史や俳句、その人生や生活について詳細まで触れることができる博物館です。
道後温泉の街中にあります。約7万点近くの子規関係の収蔵資料があり見ごたえがあります。
住所 愛媛県松山市道後公園1-30
坂の上の雲ミュージアム 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その3)







司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」をテーマにしたミュージアムです。
「坂の上の雲」に登場する3人の主人公、秋山好古・真之兄弟と正岡子規の資料の閲覧など、様々な学習ができます。
司馬小説内の子規を知るには一番良い場所なのではないでしょうか?
子規がテーブルを前にして椅子に座っている像があり、その横に座り子規と記念撮影することができる等の面白さもあります。

住所 愛媛県松山市一番町3丁目20
子規誕生地跡と子規旧邸跡碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その4)




松山市花園町にある子規誕生地の石碑です。慶応3年(1867年)子規は正岡常尚の次男として花園町のこの地に生まれ、翌年湊町新町に引っ越しました。
湊町にも正岡子規邸跡碑があります。
正岡子規誕生地跡 住所 愛媛県松山市花園町3-12
正岡子規旧邸跡碑 住所 愛媛県松山市3丁目(道路の中央分離帯)
子規の野球ユニフォームの銅像(正岡子規の愛媛県松山市の名所その5)

伊予鉄の道後温泉駅を降りてすぐの駅前広場に、正岡子規の野球着を着てバットを持った銅像があります。
この辺りは道後温泉を大変楽しめる観光スポットで、道後温泉駅の駅舎はレトロな雰囲気でスターバックスが併設されており、坊ちゃんカラクリ時計や坊ちゃん列車を見ることができます。
温泉地ならではの無料で足湯に浸かることもでる施設もあります。
正岡子規や夏目漱石も利用し愛した道後温泉本館も歩いてすぐです。
この銅像は野球を愛した子規の為に作られたもので彼の野球への情熱を表しています。
子規は明治時代にアメリカから伝わったばかりの野球に強い興味を持ち実際にプレーし、
野球用語を日本語訳し野球を広めることに貢献したことでも有名です。
「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」等は子規が翻訳し作った用語で、2002年に日本の野球殿堂入りも果たしています。
野球を題材にした俳句も多数詠んでおり、銅像の左には「夏草やベースボールの人遠し」の記述がありました。
住所 愛媛県松山市道後湯之町6-10
の・ボールミュージアム 野球歴史資料館(正岡子規の愛媛県松山市の名所その6)

の・ボールミュージアムと野球歴史資料館は、松山中央公園内にある坊っちゃんスタジアムの正面入口に向かい合っています。
両方とも無料で入場できるのでお得に楽しめます。(※土日祝日のみ開館です)
野球歴史資料館には子規が野球をプレイしているマネキンの像があり、その他アマチュア野球の展示で野球王国愛媛の甲子園の活躍動画や展示等を楽しめます。


の・ボールミュージアムは主にプロ野球の展示で、今まで3回のオールスターゲームが開催された展示や、毎年秋季キャンプで来てくれるヤクルトスワローズ関連の展示が多いです。
「松山野球殿堂」というコーナーがあり、子規のモニュメントが飾られています。



住所 愛媛県松山市市坪西町625-1
野球歴史資料館 | 松山中央公園|(公財)松山市文化・スポーツ振興財団のWEBサイトへ
坊っちゃんスタジアム前の正岡子規句碑
坊っちゃんスタジアム正面入り口のすぐ前に、正岡子規の野球句碑があります。
の・ボールミュージアムと野球歴史資料館をお伺いした際は是非ご覧ください。
句碑には「草茂み ベースボールの 道白し」子規が詠んだ俳句があります。


子規の花通り(正岡子規の愛媛県松山市の名所その7)



子規の旧邸跡碑のすぐ近くに、子規の花通りがあります。
通りには花を愛した子規にちなんで花壇などが多くあります。
又、正岡子規の俳号の一つである「竹の里人」としての4つの俳句の石碑があります。
春 かすみながらに空晴れてはし女神ぞ立ちたまふ。 竹の里人
夏 白き袋に腰をかけあやし男神や雲の上。 竹の里人
秋 たけなる黒髪肩にかけしばしの別離何かあらん。 竹の里人
冬 男神嵐に鞭うちてつめたき唇青き頬に心をこめて接吻す。 竹の里人
河原町2丁目には「絶筆三句より正岡子規にゆかりのある糸瓜をかたどった庭を作成しました」
とのことで、可愛らしい糸瓜のオブジェがあります。
糸瓜1つ1つに子規の俳句が書かれています。
子規の旧邸跡碑にお伺いした際は是非お立ち寄りください。

住所 愛媛県松山市河原町2−2辺りから河原町周辺
俳誌「ほととぎす」創刊の地


子規の花通りのすぐ近くに俳誌「ほととぎす」創刊の地があります。
俳句の雑誌である「ほととぎす」は、明治30年(1897)子規を中心にして柳原極堂によって創刊されたました。
その後20号まで発行し、高浜虚子が跡を継ぎなんと現在まで続いています。
現在はこの石碑だけがありますが、この地で子規の足跡を感じるのもよいですね。
住所:愛媛県松山市北立花町6-11あたり
愚陀仏庵跡地と愛松亭(正岡子規の愛媛県松山市の名所その8)


愚陀仏庵跡(ぐだぶつあんあと)は、明治時代に夏目漱石が英語教師として愛媛県松山に赴任中に住んでいた下宿先跡で、子規も短期間に漱石と同居し、子規が松山の友たちと句作に励んだことで知られる歴史的建造物の跡地です。
今は駐車場になっています。
その名は漱石が自らを「愚陀仏」と号したことに由来し、建物自体は戦災で焼失しました。
松山市の愚陀仏庵跡の建物は、その後萬翠荘の敷地内にある、漱石の最初の松山下宿地である現在の喫茶店「愛松亭」の場所に再建されましたが、それも豪雨で全壊してしまいました。
現在その場所は「復興愚陀仏庵跡地」と呼ばれています。
そして今愚陀仏庵の建物は、松山市の番町小学校のプール跡地にさらに再建されている途中です。
完成が待ち望まれます。
住所:愛媛県松山市二番町3丁目7−10

愛松亭(漱石喫茶店)




上記で触れた「愛松亭」です。
この地に以前愚陀仏庵が再建されていましたが、豪雨で全壊してしまいました。
今は愛松亭という珈琲やみかんパフェがいただける喫茶店です。
ここは夏目漱石の大変ゆかりのある場所で、漱石が東京から英語教師として松山に赴任してすぐに住んだ下宿の地なのです。その当時ここは「愛松亭」という小料理屋でした。
漱石はこの地を大変気に入り「小生宿所は眺望絶佳の別天地」と子規への手紙に書いています。
席は室内と屋外にもあり、漱石にゆかりのある場所だけに愛松亭は猫を飼っているので、たまに猫と出会えます。


住所:愛媛県松山市一番町3丁目3−7(萬翠荘の敷地内)
松山市立番町小学校の子規旅立ちの像と句碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その9)


松山市立番町小学校は、明治初期に旧松山藩の藩校「明教館」跡に設立された「勝山学校」をルーツとしています。
勝山学校は子規や友人の秋山真之が通った歴史的な学校として有名です。
現在のNTT西日本愛媛支店の場所にその当時勝山学校は存在し、今では同ビルの敷地付近に「松山中学校・勝山学校跡」の碑があります。
現在の番町小学校はその碑からすぐの場所ですが、松山市の中心街にあり、同校は長い歴史のある名門の小学校として有名です。
写真は現在の番町小学校の校門付近です。
校門の外から、構内の正岡子規の「旅立ち」の草鞋を履く像が見えます。
横には子規の句碑があり「國なまり故郷千里の風かをる」が刻まれています。
番町小学校の生徒さんは、卒業式等ではこの像の前で写真を撮るのが慣例だそうです。
※子規の旅立ちの像は校門外からでも見えますので、無許可で小学校の敷地内に入るのは絶対に控えましょう。
住所:愛媛県松山市二番町4丁目6−1
番町小学校のすぐそばには「漱石ゆかりの松山中学校跡」「漱石先生のみち」の碑があります。
※NTT西日本愛媛支店前の敷地内

JR松山駅前の正岡子規句碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その10)

愛媛県松山市には、至る所に子規の句碑があります。
話によると松山市には様々な俳人の句碑が全部で600近く存在するらしいです。
数えきれない位の句碑が市内に溶け込んでおり「俳都松山」を象徴している1つです。
その中でも、JR松山駅前の大きな句碑はとりわけ有名です。
「春や昔 十五万国の 城下かな」は子規の句の中でも松山市民にとっては馴染みの深い句と言えます。
この句は子規が明治28年(1895年)、日清戦争従軍記者として戦地へ向かう途中に故郷・松山を思い詠んだ句で、松山の過ぎ去った栄華への郷愁と故郷への思いを表現した、松山を象徴する句です。
蕪村の句や在原業平の和歌に触発された作品で、子規の代表句の一つとされています。
JR松山駅をご利用した際には、是非お立ち寄りください。
住所:愛媛県松山市大手町2丁目
子規が愛した、子規とゆかりの深い松山市の有名な観光地について
道後温泉(正岡子規の愛媛県松山市の名所その11)



言わずと知れた松山の道後温泉です。
正岡子規もよく道後温泉の湯に浸かったことは有名です。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でも、NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」でも、
道後温泉のシーンは複数登場します。
松山での正岡子規巡りでは必ず立ち寄りたい名所です。
・十年の汗を道後の湯に洗へ
・柿の木にとりまかれたる温泉(いでゆ)かな
・稲の穂に温泉の町低し二百軒
・色里や十歩はなれて秋の風(道後温泉近くの宝厳寺周辺への句)
等を詠んでいます。
道後温泉本館住所:愛媛県松山市道後湯之町5−6
松山城(正岡子規の愛媛県松山市の名所その12)


松山城は、江戸時代から現存する天守が有名で「現存天守12城」の1つです。
落雷による焼失などで度々改修・改築が行われ、現在の姿になりました。
重要な門や櫓が沢山あり、難攻不落と言われた立派な構えを直に感じることができるでしょう。
創設者は羽柴秀吉の家臣・加藤嘉明で、関ヶ原の戦いなどで活躍した名将として今なお語り継がれています。
加藤嘉明が1602年頃に着工し約25年かけて築かれた城です。
江戸時代は松平氏が城主を務め、明治維新まで続きました
子規は松山城を対象にした句も複数詠んでいます。
・松山の城を見おろす寒さかな
・城山の浮み上るや青嵐
・松山や秋より高き天守閣
・松山の城を載せたり稲むしろ
・春や昔十五万石の城下かな
そんな松山城も、今や愛媛県を代表する観光スポットの1つになっています。
松山城住所:愛媛県松山市丸之内1
下の写真は、松山城のロープウェイ乗り場のビルにある「子規の子守歌」の解説です。

下の写真は、松山城のロープウェイ乗り場のビルにある正岡子規の顔はめパネルです。

石手寺(正岡子規の愛媛県松山市の名所その13)


石手寺は四国八十八箇所の第五十一番札所に数えられており、お遍路の元祖とされる衛門三郎という人物の伝説が残る寺院です。
お遍路ではない普通の参拝で来られる方も多く「愛媛のパワースポット」としても有名です。
子規とは大変かかわりのあるお寺です。
・南無大師石手の寺よ稲の花
・石手寺へまはれば春の日暮れたり
・身の上や御鬮を引けば秋の風
と詠んだりしています。
上記の句で「身の上や御鬮を引けば秋の風」ですが、子規が結核で松山にて療養中の頃、石手寺を訪れた際に本堂の縁に落ちていたおみくじを拾い、それが「凶」で「大病あり命にはさわりなし」と書かれていたことを子規の日記である「墨汁一滴」に記録しています。
石手寺住所:愛媛県松山市石手2-9-21
三津浜港(正岡子規の愛媛県松山市の名所その14)



三津浜港からは、写真の様に松山城が遠目に見えます。


三津浜は古くから松山の玄関口として栄えた港です。明治時代の松山市では三津浜港が船で遠くへお伺いする為のほぼ唯一の窓口でした。
正岡子規や秋山兄弟も、松山から東京に旅立つ際等に何かと利用した港です。
NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」では、弟の真之が船で東京に行く際の松山の人々のお見送りシーンや、子規の妹である律(りつ)と語りあうシーン等はこの三津浜港だったという設定です。
当時は松山市中心部から三津浜港へは有名な「坊ちゃん列車」が走っていました。
三津浜港の何か懐かしい雰囲気は、未だに三津浜に住む人々によって大切に守られています。
三津には松山市のソウルフードである「三津浜焼き」の店があり、レトロな三津の商店街の散策等散歩するには大変楽しい街です。
子規ファンは是非お伺いしたい場所の1つです。
三津浜にある子規の句碑

三津浜海岸にも子規の句碑があります。
「十一人一人になりて秋の暮」
句碑の周りには「希望」「志し」「旅立ち」「もてなし」の4文字が刻まれています。
この句は、子規が故郷での療養のあと再び東京ヘ旅立つ際、宴を催してくれた友人たちと別れた後の寂しさを詠んだものです。
松山港三津浜旅客待合所の前にあります。
三津の渡し



三津の渡しは、現在でも利用できる無料の渡し船です。
松山港内港地区の三津と港山の間約80mを結ぶ渡船で、年中無休にて無料で利用することができます。
三津の渡しの起源は室町時代にまでさかのぼり、物資輸送や三津浜側にあった洲崎の浜に毎朝食料を調達するため利用したのがはじまりです。
江戸時代の俳人小林一茶も句会に参加するため乗船したと言われています。
生活の足として地域住民に愛されています。
正岡子規も当時利用したのかもしれませんね。
三津浜にお越しの際は是非三津の渡しをご体験ください。
大街道と銀天街(愛媛県松山市の商店街)(正岡子規の愛媛県松山市の名所その15)


大街道と銀天街は、子規の生誕地や子規旧邸跡に大変近い松山市の屋根付きアーケード商店街です。
子規も秋山兄弟も、この辺りを幼少の頃から闊歩したことは間違いありません。
「大街道」は現在松山市の一番人通りの多い商店街で、その名前は大正時代頃から定着したと言われています。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」内でも、大街道の名前は何かと登場します。


大街道と隣接するのが「銀天街」です。
銀天街という名前は昭和から使われてあり、愛媛県初の屋根付きアーケード街です。
銀天街には円光寺があり、ここは明月上人の百回忌にあたり子規が句会を催したことで有名です。
その時この句を詠んでいます
・風呂吹を喰ひに浮世へ百年目
子規の旧邸跡のすぐ裏手なので、現在でも何かと子規の話題があります。
円光寺
円光寺は松山市が誕生した際に最初の市庁舎(事務室)が置かれた場所でもあります。
ですので「松山市誕生の地」と呼ばれています。
円光寺へは銀天街から直結でお伺いできる様になっており、銀天街でのお買い物中のちょっとした休憩スポットとして愛されています。
敷地内には砂場やベンチ、滑り台があります。
よくイベント等も開催されています。

円光寺内にある子規の句碑です。風呂吹を喰ひに浮世へ百年目


愛媛県松山市の正岡子規名所15選のまとめ
さて子規の松山市足跡巡り15選はいかがでしたか?
愛媛県の方で子規に造詣の深い方は、是非今回ご紹介させていただいた名所にお立ち寄りくださいね。
愛媛県外の方は、この記事の子規の足跡を巡っていただき、是非子規の生まれ育った愛媛県松山市に子規の足跡散策においでくださいね!


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