正岡子規は愛媛県松山市で生まれ育った偉人として有名です。
子規と言えば、真っ先に「俳句」が思い浮かぶと思いますが、まさに子規は俳人であり近代俳句や短歌の革新者です。他に文学評論家でもあり、東京での新聞記者時代には日清戦争時に従軍記者として軍に随伴するなど多彩な活躍をした人物です。
正岡子規が自分で詠んだ俳句だけでも25,000句程あると言われており、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
春や昔十五万石の城下かな
若鮎の二手になりて上りけり
などは俳句に造詣が無い方でも耳にしたことがあるのではないでしょうか?
あまり子規への知見がない方でも「正岡子規」と聞けば、学生時代に歴史の教科書に載っていた子規の横顔を思い浮かべることができますよね。
司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」でも子規の人生は詳細に表現されており、テレビドラマ化された「坂の上の雲」を見て改めて子規のことをお知りになった方も多いのではないでしょうか?
この記事は、今でも残る正岡子規にゆかりの深い愛媛県松山市の施設等についてご紹介させていただきます。
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正岡子規は愛媛県松山市で生まれ育ち、東京都で活躍し亡くなりました

愛媛県松山市は子規の生まれ故郷であり、松山市は未だに子規の強い影響もあり「俳都松山」と呼ばれ俳句詠みや句会の開催が盛んです。
松山市にはいたるところに俳句ポストがあり、松山市民は現在でも俳句に慣れ親しんでいます。毎年夏には日本全国の高校生が俳句詠みを競い合う「俳句甲子園」も松山市で開催されます。
松山市の小学校では夏休み等の宿題として「俳句を自作する」という文化も根付いています。
松山が未だに俳句が盛んなのも、子規の生まれ故郷という環境が大きく関与しているのは間違いありません。

そんな子規ですが、愛媛県松山市で武士の子として生まれ育ち明治維新を迎え、その後東京に移り生涯を通じて俳句等の活躍をしました。
正岡子規の愛媛県松山市の名所について
子規の生まれ故郷である愛媛県松山市の子規に関連する名所についてご案内させていただきます。
松山市には子規と関係が深い施設や名所がたくさんあります。
松山市内に子規の俳句を刻んだ石碑や子規の像等はいたるところににありますが、下記が特に子規をよく知ることができる施設なので、是非お立ち寄りくださいね。
子規堂 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その1)




子規堂は愛媛県松山市の正宗寺の中にあり、子規が17歳まで過ごした松山の邸宅を模して建てられた木造平家建の建物です。子規が使っていた机や遺墨、遺品、写真など展示が充実しています。
その他にも子規の当時の書斎が再現されていたり、子規にまつわる物が多く子規ファンは満足できる場所です。伊予鉄の松山市駅から徒歩すぐです。
住所 愛媛県松山市末広町16-3
松山市立子規記念博物館 (正岡子規の愛媛県松山市の名所その2)

正岡子規の歴史や俳句、その人生や生活について詳細まで触れることができる博物館です。
道後温泉の街中にあります。約7万点近くの子規関係の収蔵資料があり見ごたえがあります。
住所 愛媛県松山市道後公園1-30
坂の上の雲ミュージアム 愛媛県松山市(正岡子規の愛媛県松山市の名所その3)

司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」をテーマにしたミュージアムです。
「坂の上の雲」に登場する3人の主人公、秋山好古・真之兄弟と正岡子規の資料の閲覧など、様々な学習ができます。
司馬小説内の子規を知るには一番良い場所なのではないでしょうか?
子規がテーブルを前にして椅子に座っている像があり、その横に座り子規と記念撮影することができる等の面白さもあります。

住所 愛媛県松山市一番町3丁目20
子規誕生地跡と子規旧邸跡碑(正岡子規の愛媛県松山市の名所その4)




松山市花園町にある子規誕生地の石碑です。慶応3年(1867年)子規は正岡常尚の次男として花園町のこの地に生まれ、翌年湊町新町に引っ越しました。
湊町にも正岡子規邸跡碑があります。
正岡子規誕生地跡 住所 愛媛県松山市花園町3-12
正岡子規旧邸跡碑 住所 愛媛県松山市3丁目(道路の中央分離帯)
子規の野球ユニフォームの銅像(正岡子規の愛媛県松山市の名所その5)

伊予鉄の道後温泉駅を降りてすぐの駅前広場に、正岡子規の野球着を着てバットを持った銅像があります。
この辺りは道後温泉を大変楽しめる観光スポットで、道後温泉駅の駅舎はレトロな雰囲気でスターバックスが併設されており、坊ちゃんカラクリ時計や坊ちゃん列車を見ることができます。
温泉地ならではの無料で足湯に浸かることもでる施設もあります。
正岡子規や夏目漱石も利用し愛した道後温泉本館も歩いてすぐです。
この銅像は野球を愛した子規の為に作られたもので彼の野球への情熱を表しています。
子規は明治時代にアメリカから伝わったばかりの野球に強い興味を持ち実際にプレーし、
野球用語を日本語訳し野球を広めることに貢献したことでも有名です。
「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」等は子規が翻訳し作った用語で、2002年に日本の野球殿堂入りも果たしています。
野球を題材にした俳句も多数詠んでおり、銅像の左には「夏草やベースボールの人遠し」の記述がありました。
住所 愛媛県松山市道後湯之町6-10
の・ボールミュージアム 野球歴史資料館(正岡子規の愛媛県松山市の名所その6)

の・ボールミュージアムと野球歴史資料館は、松山中央公園内にある坊っちゃんスタジアムの正面入口に向かい合っています。
両方とも無料で入場できるのでお得に楽しめます。(※土日祝日のみ開館です)
野球歴史資料館には子規が野球をプレイしているマネキンの像があり、その他アマチュア野球の展示で野球王国愛媛の甲子園の活躍動画や展示等を楽しめます。


の・ボールミュージアムは主にプロ野球の展示で、今まで3回のオールスターゲームが開催された展示や、毎年秋季キャンプで来てくれるヤクルトスワローズ関連の展示が多いです。
「松山野球殿堂」というコーナーがあり、子規のモニュメントが飾られています。



住所 愛媛県松山市市坪西町625-1
野球歴史資料館 | 松山中央公園|(公財)松山市文化・スポーツ振興財団のWEBサイトへ
坊っちゃんスタジアム前の正岡子規句碑
坊っちゃんスタジアム正面入り口のすぐ前に、正岡子規の野球句碑があります。
の・ボールミュージアムと野球歴史資料館をお伺いした際は是非ご覧ください。
句碑には「草茂み ベースボールの 道白し」子規が詠んだ俳句があります。


愛媛県松山市の正岡子規名所のまとめ
さて子規の松山市足跡巡り6選はいかがでしたか?
愛媛県の方で子規に造詣の深い方は、是非今回ご紹介させていただいた名所にお立ち寄りくださいね。
愛媛県外の方は、この記事の子規の足跡を巡っていただき、是非子規の生まれ育った愛媛県松山市に子規の足跡散策においでくださいね!
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