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愛顔感動ものがたり 表彰式イベント 受賞作品を南海放送ラジオで放送

日時2026年3月2日(月)~3月13日(金)の「ニュースな時間」内で放送。
愛顔感動ものがたり 表彰式イベント アーカイブ配信
受賞作品を南海放送ラジオで放送

南海放送ラジオで、受賞作品の中から10作品を朗読でご紹介します。
放送日:3月2日(月)~3月13日(金)の「ニュースな時間」内で放送。
朗読:佐伯りさ
放送後こちらのページでもご紹介します。

一般の部
特別賞
3月11日放送
「女神湖の女神」松田由喜子
姑が亡くなった年の夏、舅を連れて信州へ出かけた。舅は若かりし頃、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳連峰などを踏破した山男である。そんな舅に、どこに行きたいか尋ねたところ、意外にも女神湖の名をあげた。
女神湖は信州蓼科の白樺湖の奥にある一周約四十分ほどの小さな湖だ。奥には立ち枯れの木々もあって神秘的な風情があった。遊歩道のあちこちに咲く小さな草花、緑色に輝く水面、遠くに臨む蓼科山。八十歳を越えた舅の歩調に合わせて、私たち夫婦はゆっくりと進む。途中、「疲れた」と言って舅がベンチで休憩した。その際、財布から一枚の写真を取り出した。セピア色をした白黒写真には、二十代とおぼしき舅と姑が写っている。背後に湖が見えた。
「実はね。ここで妻にプロポーズしたんだ。ここが夫婦のスタート地点なんだ。」
姑を失って三カ月、ほとんど外出せずに悲しみに暮れていた舅が、子供のような笑顔を見せた。女神湖が舅を笑顔にさせてくれたことに私は大いに慰められた。
帰宅すると、舅は長らく休んでいた散歩を再開させた。その理由が、もう一度女神湖に行きたいからだと知った私は、散歩に付き添うようになった。
「どうして女神湖でプロポーズしたんですか」
尋ねると、舅は鼻に皺を寄せて笑った。
「何てったって、あそこは女神だろ」
そうか。舅にとっては姑こそが女神だったのだ。だから女神湖を選んだ。そうして湖は、そこに行くだけで笑顔になれる場所となったのだ。
舅と女神湖に行く機会は、その後も続いた。両親の思い出の詰まった湖は、私たち夫婦にも笑顔を与えてくれた。五回目に出かけたとき、舅の車椅子を夫と交替で押した。その年が最後になると悟っていたのだろう、舅は満面に笑みを浮かべながら、名残を惜しむように湖面を見つめ続けた。
高校生以下の部
特別賞
3月10日放送
「あったかいごはん」南舘千春
私が小学一年生のとき両親が離婚した。母と妹は居なくなり、家には私と父と姉の三人になった。そして私達ももう少しで引っ越すと父から告げられ、生まれ育った故郷も、にぎやかで楽しかった家も、やっと仲良くなれた友達も、全て失うことになると知った。
それでも、引っ越すまでの約一ケ月は普段とあまり変わらない日々だった。朝起きて学校へ行き、友達とお話しして、家に帰ってゲームをして寝る。そんな日常とは裏腹に、私の心だけはどん底へと沈んでいった。幸せそうな友達が憎い。帰っても母と妹はいないし、スーパーのお弁当ばかりで温かいご飯もない。
私は悪い事なんて何もしていないのに、なぜこんなにも苦しい思いをしなければならないのかと、悲しみが怒りに変わり、その怒りは父へと向いた。家族を引き離したのは父だ。私から大切なものを奪ったのは父だ。私と父の距離はどんどんひらいていき、会話をすることはなくなった。
二週間程経ったある日、家に帰るとテーブルの上にカレーと、小さな紙があった。そこには「さびしい思いさせてごめんね」と書かれてあった。帰りが遅くなるからと、一旦家に帰って作ってくれたらしい。お腹も空いてないのに私はすぐに温めて食べた。
正直、味はおいしくなかった。辛いのにりんごの味がするし、にんじんは固いし、じゃがいもはでかくて食べにくい。こんなまずいの食べたことがない。でも料理なんてした事がない不器用な父が私達のために作ってくれたと思うと、涙が止まらなかった。変な味だけどあったかい気持ちになれた、一生忘れない大好きなカレー。ひとりじゃないと気づけたことで少しずつ世界が色づいていった。
確かに私は幼い頃に多くのものを失った。でも失ったからこそ見えたものもあった。誰かがそっと手を差し伸べてくれる優しさ、不器用でも伝わる想いの強さ。父が愛してくれた私の人生をこの先も大切に生きていきたい。
一般の部
優秀賞
3月9日放送
「大人、エンエン」木村康宏
果たせぬ約束がずっと胸に残っていた。
約二十年前、学生の私は飲食店でアルバイトをしていた。
同僚で、同い年のSくんとは仲が良かった。彼はフリーターで、料理人を目指していた。いつも笑顔だったSくんは、その裏で店の社員にいじめられていた。
私は運営会社に報告した。その結果、なぜか私が解雇された。悔しくて虚しかったが、ふと気づくと私は笑っていた。
人は悲しみの果てに、笑ってしまうのかもしれない。
Sくんのいつもの笑顔も、きっと同じだったのだと気づいた。
後日、彼と話をした。
「お店の人から聞いたよ。君が動いてくれたって。ありがとう」
私はもう気にしていなかった。クビになって、清々していたくらいだ。Sくんは別の店で修業を始めるという。夢を追う、精悍な顔つきの男になっていた。
「いつか自分の店を持つから、そのときは必ずきてね。美味しい料理を食べさせるから」
私は「うん、約束だ」とこたえた。
それから十年後、Sくんから店を開いたと連絡があった。だが私は遠方に住み、仕事に追われていたので、訪ねることはなかった。
本当は夢を叶えた彼に会うのが、怖かったのかもしれない。胸を張って会える自信がなかった。
さらに時は流れ、Sくんとは疎遠になった。だが忘れたことはなかった。ある日、私用で彼の店の近くへ行く機会があり、思いきって予約を入れた。
店を訪れると、立派な個室に通された。やがて調理白衣をまとったSくんが現れた。
言葉を交わすより先に、私たちは子どものように泣いた。
「お互い、もう四十歳か」と笑い合うつもりだったのに。
そこへ、Sくんの妻と三歳の娘さんが顔を出した。
娘さんがつぶやく。
「おとながエンエンしてる。おかしいね」
その言葉に、私たちはようやく笑った。
人は本当に悲しいとき、笑ってしまうことがある。そして本当にうれしいとき、大人でもエンエンしてしまうこともある。
約束の夜に、私はしこたま酔った。
高校生以下の部
優秀賞
3月6日放送
「背中を押すよ」弘松詩菜
四十九日を過ぎたら天国にいく背中を押してあげないといけないよとお坊さんが言っていた。私は怪談話や幽霊は怖い。でもおじいちゃんの幽霊なら怖くない。そばにいて困った時や悲しい時は姿を見せて助けてくれたらいいなと思っちゃう。
お母さんと口喧嘩した時に私に加勢してくれたり、学校で嫌なことがあった時に変顔で笑わせてくれたり、テストでわからない問題が出たときに教えてくれたり、幽霊おじいちゃんがそばにいると大助かりだなと想像したりする。
おじいちゃんは大阪に住んでいたから三か月に一回くらいしか会いにいけなかった。たまにしか会えなかったけど会った時はたくさん話した。耳が遠くて話がかみ合わなくて、それがおもしろくてたくさん一緒に笑った。車いすに乗って散歩に行って一緒にボーっと過ごす時間も好きだった。いつもお土産で買っていくベビー母恵夢(ぽえむ)を「これ、すごい美味しいんやで。食べてみ」と言う。私が持っていくお土産だけどなぜか得意げに笑い、美味しいから食べろと毎回勧めてくれる。
そんなとぼけたおじいちゃんがそばにいたら毎日私は笑顔で過ごせるに違いない。
でもね、ずっと私のそばにいると天国にいけなくておじいちゃんがしんどくなるとお坊さんが言う。
寂しくて悲しい。でも笑顔でお仏壇の前で手を合わせる。私、おじいちゃんの背中を押すよ。天国から見ていてね。
元気がでない時には母恵夢(ぽえむ)を勧めてくるおとぼけな笑顔のおじいちゃんの写真をみることにしよう。
一般の部
優秀賞
3月5日放送
「父の部屋の香り」原稔宏
六月五日。チーン、とリンが鳴る。
仏壇の前の座布団で正座している母の丸まった背中があった。父の十七回忌。早いものだ。手を解いた母が言った。「二階に行ってみたい」と。二階は父の部屋である。「でもなあ…」ぼくは母の横に座った。二階に行くにはあの階段を上らなければならない。
父は根っからの芸術家であった。刈り上げのオールバックにポマードを塗りたくっていた。油絵の絵の具が染み付いたエプロンからは揮発性油の匂いがする。二つが合わさった空気は強烈で、それが階下まで汚染した。誰も二階には行かず、とりわけ母は嫌った。
母は今年九十。実家には週に数回、一人暮らしの母の様子を見に行っている。父が亡くなってからはあの部屋とはご無沙汰である。
超急勾配の階段の幅はほんの一mほどでぼくでさえ怖い。「わかった。連れて行ったる」母は四つん這いになり一段一段を手で上がる。ぼくは後ろから肩でお尻を支えながら、母の足首を持って一段ずつ上げていく。突き当たりのドアをドンと開けた。ところがあの香りが消えていた。母がぽつりと「嗅ぎたかったのに…」と悲しそうに。一つ息を吐き、見渡す。四方の壁には父のキャンバスが十枚ほど立て掛けてあった。正面には木炭での下描きの絵があった。これ、なんの絵やろ。
なんとはなしに戸棚に目を遣ると、父の日記が立て掛けてあった。手に取ってぺらぺらと捲っていく。最後は二〇〇八年六月一日。その三日後、父は救急車で運ばれた。一日の日記に目を落とす。『瑞宝双光章受章のときの絵を描き始める』と。はっとしてさっきの絵を見た。キャンバスには二人らしき人物が。これは父と母だ。「母ちゃん」声をかける。背中を向けた母が。えっ。絵の具の蓋を開けてクンクンしているではないか。振り向いた母の鼻先には赤の絵の具が付いている。ぷっと吹き出した。「なに?」と首を傾げるその仕草が可愛くて、ぼくは泣きながら笑った。
高校生以下の部
優秀賞
3月4日放送
「細い線」三浦喜琉
私はどのような状況でも筆を止めない。昔から絵を描くことは好きだった。線を繋げてやがて形になる。そのような行為が誰のためになるのか、何を生むのかなんて、考えたことはなかった。
「じいちゃん。俺、絵を描く学校にいきたい。」
祖父の家でふと漏らした一言だった。
「絵を描きたいなんて勉強できん言い訳よ。」
思っていたよりずっと冷たい返事が返ってきた。苦笑いする私に、祖母も続ける。
「普通の大学じゃないと応援はしません。」
幼い頃私が描いた絵を二人とも笑顔で受け取ってくれたのだが進路の話となれば、まるで遊びの延長のようにしか見てくれない。私の絵は、誰の心も動かせないんだと思った。
しばらく経ったある日、父は大量の荷物を車に詰めていた。離婚の話が成立し、別居の準備をしている。私は二人の仲がいいものではないと知っていたので、反対はしなかった。その日、父は私に家族への思いを涙ながらに語った。続けて私の絵の話もしてくれた。これが最後の会話になると思ったのだろうか。
普段は言わないことも丁寧に伝えてくれた。
「絶対に好きなことをしろよ。」
その日の父の言葉だ。私は私の絵を信じてもいい。父の言葉は簡潔ながら優しかった。
翌日、家に帰ると父はいない。私は今日も筆を止めない。
「絵が完成したら見せてほしい。」
父からのメールだ。私は絵を描くことが好きだ。誰かのために絵を描けるから。線を繋げて、やがて形になる。いつかまた家族がひとつの形になるように。
一般の部
優秀賞
3月3日放送
「おい!顔を貸せ!」本田美徳
半世紀以上前。広島から大阪に転校したのは小学校五年生の時だ。その初日。私はいきなりクラスメートの男子五人に囲まれて「おい!顔を貸せ!」とリーダーらしい奴にいわれた。転校生への洗礼だ。理由もなく三人がかりで羽交い締めにされた。だが実は私は広島では柔道を習っていた。二人を軽く放り投げるとリーダーが叫んだ。「気をつけろ!こいつ、強いぞっ!」今なら大変な虐めだが当時は笑ってしまう話だ。それがK君との出会いでその後、彼と私はすぐに仲良くなった。
彼の家族は両親と二人のお姉さんで家までよく遊びに行った。賑やかで居心地の良い家庭だった。中学から大学まで更に柔道に熱中した私は警察官になり、彼は子供の頃からの夢だった海上自衛官になった。陸と海とで離れていても手紙でお互いを励まし合った。
歳月が流れ、ともに定年退職を迎えた時、彼は丘に上がった。だがご両親と下のお姉さんは亡くなって独身の彼だけが実家に住んだ。
久々に訪ねて行くと仏間に両親とお姉さんの写真があった。「よく来てくれたなぁ。」
笑顔で迎えてくれた彼と昔話をした。帰りに玄関まで見送ってくれた時、ふいに私の眼に涙が溢れた。羨ましいぐらいに賑やかだった彼の家族。もういないのだと思うと…それから彼は浴びるように酒を飲んで泥酔を繰り返す。「寂しいねん…」いつもそう呟いて。
その頃私は再就職先の民間病院で働き出したばかりだったが職員に欠員が生じた。「誰か良い人がいたら採用したい。」採用担当から言われて閃いたのがあの言葉だ。「おい!顔を貸せ!」面食らう彼に履歴書を書かせて職場まで引っ張って行って面接試験に漕ぎつけた。その数日後。彼の採用が決まり、二人で笑顔の万歳を叫んだ。今、彼と私は同僚だ。「おい!顔を貸せ!」といった小学校五年生は再び同じ言葉を半世紀以上が経っていわれたのだ。長い歳月が経っても彼と私は固い友情と友愛の愛顔で毎日、忙しく働いている。
高校生以下の部
優秀賞
3月2日放送
「理想の夫婦」安永有花
私の両親は特別仲が良いかというとそんなことはなく、かといって仲が悪いわけでもない。結婚記念日に何か特別なことをすることはなく、ちょっとした口論をときどきしている。母から父の愚痴をたびたび聞くし、父は母と姉の喧嘩が始まると、加勢することなく一目散に逃げていく。しかし、母の日や父の日には必ず贈り物をお互いに贈っている。土日の買い物や祖父母の農作業の手伝いも、二人でいつも行っている。父は服を買ったら、すぐ母に「これ、かっこええやろ。」と見せている。母も愚痴と同じくらいの頻度で、父の良い所を私に言ってくる。私は、これまで両親がお互いに直接的な言葉で愛を伝えているのを見たことがなかった。初めてその言葉を聞いたのは、今年の母の日である。
私の父は、車で通勤しており、毎朝ラジオを車の中で流しているらしい。母の日の昼ご飯、私も部活が終わって、父母とたこ焼きを食べている時、父の聞いているラジオの話になった。父はいつにも増してニコニコして、自分の投稿がラジオ番組で読まれたんだと話してくれた。そのアーカイブを三人で聞くことにした。そして父の投稿が読まれた。「ペンネーム、やすぱんさん。今週の日曜日は母の日ですね。私の妻は毎日おいしいお弁当を作ってくれます。もうすぐ結婚して三十年になります。日頃、恥ずかしくて面と向かって感謝を伝えられていません。この場を借りて伝えたいと思います。いつもありがとう。これからもよろしくおねがいします。」そして、リクエスト曲は、二人が結婚式で使った曲だった。私は、お父さんなかなかやるじゃんと感心した。父と母は私の両親である前に、夫婦だと改めて実感して、娘として少し不思議な気持ちになった。いつも、タメ口で話している両親が、律義に敬語で「これからもよろしくおねがいします。」と照れながら言い合っている姿に、私も自然に笑みがこぼれた。私も結婚したら、こんな夫婦になりたい。
愛顔感動ものがたり 表彰式イベント 概要
愛顔感動ものがたり 表彰式イベント
日時
2026年2月22日(日)開場13:30/開演14:00
場所
愛媛県県民文化会館 メインホール
入場料
入場無料
入場券のお申込み方法
入場券のお申込み受付は終了しました。
お問い合わせ
愛媛県文化振興課
TEL:089-947-5480 [受付時間 平日 8:30-17:00]
E-MAIL:bunkashinko@pref.ehime.lg.jp

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