番組審議会
番組審議会とは、南海放送が放送する番組の向上改善と適正を図るため、放送番組等の審議を行うことを目的として設置された審議機関です。
第740回 番組審議会
第740回番組審議会が、7月22日(水)本社8階役員会議室で開かれました。
7名の委員より、テレビ、ラジオそれぞれの合評番組について審議が行われ、テレビ番組では南海放送が制作した「雨のあと~西日本豪雨から8年~」について、委員から次のような意見が出されました。
テレビ番組「雨のあと~西日本豪雨から8年~」
放送日時:2026年5月16日(土)10:30~11:25(南海放送制作)
番組概略
2018年7月7日、愛媛・広島・岡山を中心に西日本一帯を襲った「西日本豪雨」。西予市野村町では、ダムの緊急放流により町の中心を流れる肱川が氾濫。濁流が町を飲み込み、5人が亡くなりました。果たして、あの日のダム操作は適切だったのか。被災した住民たちは国や自治体を訴え、長い戦いが始まります。取材中、家を失った一組の家族と出会いました。肱川のそばに建っていた家は2階の天井近くまで水没。大切な思い出は泥だらけになり、住むことはできなくなりました。それでも笑顔の絶えない家族に、ひときわ明るい一人の少女・越智夢望(ゆめの)さん(10)がいました。
あの豪雨から、8年が経ちます。当時小学5年生だった夢望さんは高校を卒業し、ふるさと野村を離れることに。色々なことがありました。色々な人に出会いました。体育館の避難所から仮設住宅、高台に建てたお家...けれど、いくら月日が経とうとも、忘れられません。あの日なにがあったのか。なぜ町は水没したのか。あの雨のあと、人々は。
各委員の意見
- 夢望さんの8年間の成長と裁判棄却という過酷な現実を対比させた構成が心の復興の難しさを浮き彫りにしています。今後は過酷な映像への配慮や視聴者の声に耳を傾けつつ、過去の記憶を俯瞰的な「線や面」で捉える報道を続けるべきであることから、番組は災害の爪痕の深さを伝えるとともに、報道が単発の「点」ではなく長期的な視点で災害に向き合い続ける必要性を強く感じました。
- 「世の中との温度差」に苦しむ被災者の思いや二次災害の恐ろしさが描かれており、緊急放流の経験を行政やダム関係者の今後の判断に活かすとともに、立ち直ろうとする被災者一家の明るい姿を届ける取材を継続して頂く事を望みます。被災者の心の傷や苦悩は今も続いており、その復興の歩みと勇気を伝え続けるための長期取材が必要であると再認識させられました。
- 成長する少女や明るい家族への密着がダイレクトな感情移入を生んでいる一方、避難指示の遅れや大量放流などの対処方法に疑問が残る為、今後は行政トップやダム管理者への取材を通じて治水システムや避難指示の検証をさらに深めるべきだと思われます。ハード面のみならず運用面も含めた治水の検証が不可欠であり、番組には災害の教訓と防災意識を正しく提示する役割が求められると思う。
- 前向きに生きる被災者の姿から人間の強さを実感できる一方で、世間では裁判や被災地の現状の認知が薄れている実態があるため、報道を通じて風化しがちな過去の災害に世間がどう向き合い続けるべきかを問い直す契機となったと思います。時間の経過とともに拡大する世間と被災地の温度差を埋め、風化させずに災害と向き合い続けるきっかけを提供することが大切です。
- 前向きな家族の描写が見事である一方、5人の犠牲者が出た現実に対して「残念」で済ませるべきではなく、行政の組織的な不備を丁寧に再検証するとともに、そうした行政を選んでいる有権者(住民)自身の責任も問う視点が必要です。犠牲を出した行政の対応不備を深く検証すべきであり、それは翻って市民・有権者自身の責任を問い直すことでもあると強く感じました。
- 避難指示の判断基準やダムの防災操作の説明には更なる解明が必要。遺族への取材継続を行政の改善に繋げるとともに、消防団やボランティアなど多角的な取材を試みるべきであることから、二度と悲劇を繰り返さないためにも行政対応の検証と多面的な取材を長期的に継続し、教訓を未来へ継承すべきであると思います。
- 豪雨災害の過酷な映像は視聴者に強いインパクトを与え、災害の恐ろしさを直感させるため、この経験から得た教訓を次の災害へのヒントとし、学びとして社会全体で生かしていく視点を持つことが求められると思われます。過去の災害の経験と教訓を学びとして活かし、次の災害被害を防ぐためのインパクトを与えることが重要であると再認識しました。
続いてラジオ番組は、南海放送が制作した「十七音の記憶」の合評を行いました。委員の主な意見と感想は次のとおりです。
ラジオ番組「十七音の記憶」
放送日時:2026年5月23日(土)12:00~13:00(南海放送制作)
番組概略
戦後80年。「記憶をどう受け継ぐのか」を考える最後のフェーズに差し掛かかりました。戦争を記録する方法は数多くあります。映像、写真、手記、証言──。その中で私たちは、愛媛に息づく「俳句」に戦争の記憶を継ぐ大きな力を感じ、番組制作に至りました。どんな景色を見たのか。どんな苦しみを抱えていたのか。なぜ、その言葉を残したのか。「十七音の記憶」に向き合い、想い巡らせることで、彼らが見たかった未来を歩めるかもしれません。松山市には、戦争を経験した人たちが詠んだ「戦争句」がいまも数多く眠っています。
【詔書聞き 告げるすべなき 戦友(とも)しのぶ】
この句を詠んだのは、自らの号令で戦友を失った少年兵。終戦の詔書を聞いても、もう亡き戦友に「戦争が終わった」と伝えることはできない。それは、生き残った者だけが抱え続けた無念を吐いた十七音。
【原爆忌 涙ににじむ 孫の顔】
8歳で被爆し、「子供たちにひもじい思いをさせたくない」と願う菓子メーカーの創業者。しかし、愛する孫にだけは、あの日の惨状をどう伝えればいいのかわからない。それは、語り継ぐことに葛藤する十七音。
【大連や 祖父の 八月十五日】
認知症の祖父から、わずかに残された戦争の記憶をたどる孫娘。祖父が「休戦」と聞かされた"八月十五日"をどう受け止めればいいのか。かつての戦争を描くには、あまりにも短い十七音。しかし私たちは想像を巡らせることで、その余白に描かれた戦争の記憶に触れることができます。
各委員の意見
- 凄惨な戦争体験を直接語る苦痛を和らげつつ強烈な光景を浮かび上がらせ、高校生たちのディベートや作句を通して若い世代への継承が見事に示されています。限られた17音だからこそ受け手の想像力にダイレクトに響き、戦争の記憶や平和の価値を次世代へ語り継ぐ強力な手段となり得ます。
- 100歳の体験者から10代の高校生までの声色の対比によって戦時下と現代を軽やかに行き来させ、貴重な語り部である100歳の藤原さんの取材素材を活かしたアプローチが行われています。俳句というコンパクトなツールと世代の対比を用いることで、重い歴史の記憶に立ち返りつつも心地よく思いを巡らせることができます。
- 制限された言葉の背景を聴き手自身に推し量らせる作業が記憶を深く刻み、「俳句甲子園」から当事者、そして現代の若者へと繋ぐ時間軸の構成が未来への希望を描き出していると感じました。17音の「余白」を聴き手の能動的な想像力で埋めさせる構成により、戦争記憶の継承という現代の過酷な課題を見事に克服しています。
- 戦争の凄惨さを伝える句の圧倒的なリアリティや、取材時に坊っちゃん団子を届けて被爆者の情愛や感情を引き出した取材陣の温かい対応が印象に残りました。多くの言葉でも表せない過酷な戦時下の実相が、たった17音の強烈な真実味をもって鮮明に伝わってきます。
- 元陸軍兵の無念や被爆の悲劇、家族愛を込めた句の朗読が胸に染み、俳句甲子園に臨む若者の姿を通じて風化しがちな戦争に思いを巡らせる仕掛けになっています。俳句はリアルな戦禍の悲惨さや断ち切られた家族愛をそのまま未来へ刻み込み、現代人に省察を促す優れた記録媒体であることを改めて気づきました。
- 17音からにじみ出る生と死の表裏一体さや悲痛な思いは力強く、学校教育でも活用できる価値を持ちつつ歴史の本質的な問いへ導いているため、語り部の高齢化が進む最終局面において、記録媒体としての「俳句」に着目し記憶のバトンを次世代へ引き継ぐ試みを高く評価します。
以上
(番組審議会事務局)
番組審議会委員名簿
| 稲葉隆一(委員長) | 大一ガス(株) 代表取締役会長 |
|---|---|
| 村田毅之(副委員長 | 松山大学 法学部教授 |
| 山田ひろみ | 陶芸家 |
| 徳田明仁 | 愛媛大学 ミュージアム准教授兼広報室副室長 |
| 近藤路子 | (株)フードスタイル 代表取締役 |
| 宇佐美まこと | 作家 |
| 長井基裕 | 愛媛新聞社常務取締役常務執行役員 |