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愛媛県では、「愛顔あふれる愛媛県」を目指し、毎年愛顔あふれる「感動のエピソード」を募集しています。そして、多数の応募の中から各賞を受賞された作品は、2月29日開催の「愛顔感動ものがたり」表彰式イベントでお披露目されました。南海放送のラジオ番組で、「エピソード部門」の一般の部・高校生以下の部それぞれの受賞作品上位5作品、合計10作品を10回にわたり毎週1作品ずつ朗読でご紹介します。

<受賞作品を南海放送ラジオで放送>

放送日時:3月1日~毎週日曜16:25~16:30
放送後こちらのページでも作品をご紹介します。

高校生以下の部
優秀賞

「ぎちぎち弁当」 黒光優陽(愛媛県 高校生)

朗読:佐伯りさ

 中学校三年生三月、私はその日を迎えた。個人的には勉強してきたつもりだ。不確かな自信と共に志望校である南高校に足を踏み入れた。

 一月の頃だ。中学校三年生の冬休みを終え、勉強がとび抜けてできるわけではない私は、受験勉強ずくめの毎日を過ごしていた。十二月の数学のテストで半分の点数を二回連続でとれなかったこともあり、次は六割をとろうと意気込んでいたのだ。しかし現実は厳しかった。五十二点という結果で先生には南高校は五分五分だ。違う高校を考えた方が良いと言われ続ける結果となってしまった。母は大丈夫だ、南高で良い、の一点張りでそうだねと同意することしかできなかったが、正直とても不安だった。そのときのどうしようもない不安感は今でも覚えている。

 冷たい風が吹いた。外は小雨が降っているようだ。覚悟は決めている。後悔なんかするもんかと喝を入れ、テストの問題用紙に向かった。会場は緊張に満ちている。余計私に不安が募った。午前中のテストが終わり、テストの出来を気にしながらも昼食の時間を迎えた。弁当箱を開けて母が作ったぎちぎちにつまった弁当に目をやる。安心しつつも食べ進めていると、小さな紙が下に隠れていることに気づいた。「午後からもがんばれ。」そこには控えめな母らしい、気遣いが施された手紙が入っていたのだ。目頭が熱くなった。母は私のことを全部分かっていたのだ。特別受験について言及はしてこなかったが、ずっと心配してくれて、誰よりも応援してくれていたのだろう。勇気をもらえたような気がした。

 目新しく、さわやかな風が吹く南高で、今日も母のぎちぎち弁当を食べる。これは愛情だよ、悪戯っぽく笑う母を思い出して笑みがこぼれる。あと二年後もまたこの弁当に感謝するのだろうか。「お母さん。いつもありがとう。」口うるさいけれど、私は母が大好きだ。曇った空に晴れ間が見えた気がした。

一般の部
優秀賞

「にらめっこ」 小松﨑有美(埼玉県)

朗読:佐伯りさ

 短気でお茶目な夫。そんな夫を持つ私もまた頑固で譲らない性格。私達はいつだってつまらないことに腹を立てた。だけど私達には結婚当初から決めたルールがあった。それは「言いたいことを言って引き分けにする」だった。どんなに相手が悪くても引き分けだ。少々腑に落ちないが仕方ない。喧嘩両成敗というように、怒る方も怒らせる方も悪いのだ。しかし、あるとき夫が「にらめっこで決着をつけよう」と言い出した。私はジャンケンにしようと言ったがそこは折れた。こうして夫婦のにらめっこ対決が始まった。

 「にらめっこしましょ、あっぷっぷ」

 するとどうだ。さっきまで鬼のようにつり上がった目をしていた夫が、まるでおかめのように目を垂れ下げた。そのギャップに腸が煮えくり返っていた私も、今度は腹の底から笑ってしまった。もちろん笑った方が負け。それからも事あるごとににらめっこをした。だいたい負けるのは私だった。でも負けたのになぜか悔しくなかった。

 そんな夫が昨年末、胃癌で帰らぬ人となった。まだ子どもは三歳だというのに。とても笑ってはいられず、だからといって泣いてもいられなかった。これからは女手ひとつで息子を育てる。そんなプレッシャーから息子に対し怒ってばかりいた。おかたづけは?はみがきは?ああ、また怒っちゃった。気づけば笑うことを忘れ、夜になると天使のような寝顔に詫びた。そんな息子が幼稚園でにらめっこを覚えてきた。やろう、やろうとエプロンを引っ張った。

 「にらめっこしましょ、あっぷっぷ」

 するとどうだ。なんと目を垂れ下げるではないか。まさに夫の愛を受け継いだ愛顔だった。懐かしい記憶がよみがえり、なんだか泣けてきた。こんなに泣いたにらめっこは初めて。だけどこんなに笑ったにらめっこも初めてだった。

 今も私の連敗記録は更新中である。

高校生以下の部
特別賞

「本当の「愛」」 弓岡夏鈴(愛媛県 高校生)

朗読:佐伯りさ

 「自分は他の人とは違う」そんな感情を抱いた経験はありますか。私は、生みの親の顔を知りません。「捨てられた」と気付いた時には、児童施設にいました。

 三歳の時、里親に出会いました。病弱だった私は、夜中に高熱を出すことが多かったのですが、目覚めると優しい養父母の顔がそばにあり、安心したのを覚えています。遠足にはおいしいお弁当を作ってくれました。修学旅行の準備の時もかわいい洋服を一緒に買いに行ってくれました。勉強が分からなければ教えてくれ、私が悪いことをして学校に呼ばれれば、仕事を休んででも来てくれました。高校三年生になった今では、愛情たっぷりに育てられてきたのだと実感しています。

 しかし、このような穏やかな気持ちで養父母のことを語れるようになるには、時間がかかりました。小学校時代、「親と全然顔が似てないね」と友人に何気なく言われた言葉でひどく傷付きました。公文書を取ると親と名字が違うので、友人に気付かれるのが嫌で隠していました。そんなこともあり、理由もなく無視したり、反抗したり、困らせるばかりの時期もありました。「本当の親じゃないけん」自分が一番傷付けられた言葉を平気で言ってしまったこともありました。そんな時、二人は悲しそうな表情で黙って私の顔を見ていました。中学生の頃、友達関係で悩んで学校に行きたくないと言った時、「一人じゃないけん、私らがおる」と言って泣きながら私を抱きしめてくれたのを思い出します。

 私は、現在警察官を志望しています。少年課で働き、私のような境遇の子の保護や非行に走った子の更生に関わることで社会に役立ちたいです。里親に育てられたからといって同情されたくはありません。むしろ、本当の親以上に愛情を注ぎ、懸命に育ててくれているこの養父母に出会えて良かった、この幸運をチャンスに変えて今度は恩返しをしたいと今は思っています。

一般の部
特別賞

「思いやる気」 野本浩愼(愛媛県)

朗読:佐伯りさ

 『先生、お元気ですか?私は現在、人の人生を応援する仕事をしています。あなたの座右の銘「思いやる気」を胸に抱きながら』

 私は小学五年生から中学生にかけて学校を休みがちだった。どこかクラスに馴染めず、先生や同級生と関わる事が不安で苦しくなった。当時は不登校に対する認識も厳しく、怠けや甘えと捉える人もいて、自己嫌悪に陥り、両親にも心配をかけた。

 そんななかで当時、唯一、夢中になれるものがプロ野球観戦だった。あるシーズンに愛媛出身のプロ野球選手が活躍していて、僕は中学二年生の十二月に思いきってファンレターを送った。

 後日、ポストに一通の手紙が入っており、名字が見えた。「おおっ」一瞬、興奮した。ただ、よく見ると名まえが違う。学校の先生からだった。クラス担任ではなかったが、スポーツマンで爽やかな先生という印象を持っていた。手紙は「僕とキャッチボールをしませんか?」という内容だった。マジか。ファンレターを送った選手と同じ名字であることに僕は何か不思議な縁を感じた。

 「ナイスボール!」時々、ミットに乾いた音が鳴り響き、先生が笑顔で応えてくれる。「あれ?なんか楽しいぞ」先生は仕事が終わるとほぼ毎日、自宅に来て近所の公園でキャッチボールをしてくれた。僕が野球好きなのを知ってくれていたのだ。

 中学三年生になり、僕は学校を休まず通うようになっていた。いつの間にか僕の心の中にやる気が生まれていた。振り返ると、頑張っている姿を先生に見てほしかったのかもしれない。そして僕は無事に卒業し、先生は年度末に異動となった。先生とのキャッチボールは一年四カ月に及んだ。

 『先生、私を救ってくれてありがとう。思いやりとやる気を合わせた「思いやる気」はしっかりと私の心に引き継がれています。またいつか、キャッチボールしましょう!』

高校生以下の部
知事賞

「映画」 佐伯篤典(愛媛県 高校生)

朗読:水樹奈々

 僕は映画が好きだ。特に一人で劇場へ行き、何も買わずにただ観るのが好きだ。たまに友人と行きもするが、隣で話しかけてくる度に一人で行かなかったことを後悔する。そんな孤高の映画好きである僕が母と一緒に観に行ったのは、実に五年ぶり、小学校以来のことだった。

 母も映画が好きだ。独身だった時はよく一人で観に行っていたらしいが、結婚してからはあまり行っていないそうだ。多分、合理主義で映画を時間のムダだと思っている父の影響だろう。そんな母を何を思ってか、僕はある日映画にさそった。

 「どうしてさそったのか。」前日の夜にふと考えてみた。僕ももう高校生だ。一般的に男子高校生がお母さんと映画を観に行くというのが、ゼロではないにしろありえないことだという認識はあった。それでも母をさそった。どうしてか。その答えが出たのは、映画を観た後だった。

 映画鑑賞後、入場時と同様に「周りのみんなは、この年で母親と映画を観にくるなんて、信じられないと思っているよな」という自意識に包まれながら映画館を出て、車の助手席に座った。結局答えは出なかったなと思った。疲れて座席のシートを後ろへ倒して寝ようとした時、母から「またさそってね」と微笑みまじりに言われた。

 これが答えだと感じた。この日のことを忘れないと思ったから。周りにどう思われるかなんて関係なしに、高校生になって照れくさくてできなかった、「母を笑顔にする」という重大な任務を、やっとできたと思ったから。

 「もうコリゴリだよ。」喜びや恥じらいを抑えながら喋るには、それが精一杯だった。

一般の部
知事賞

「あたたかい涙」 田後寛子(東京都)

朗読:水樹奈々

 白い洗面器に手を入れた途端、手の甲から赤い小さなつぶが現われて、やがて細い何本かの筋となって浮き上がってきました。

 さっき薪割をしたときに、ぴりぴりとひび割れしたところから(にじ)み出てきたのです。その両手がいとおしく、そっとエプロンで包みました。

 私はこの春、働きながら定時制髙校へ通うことを決心して、この家でお手伝いさんとなったのです。大きなお屋敷では思っていたより、厳しく、時に心が折れそうになりました。

 終戦の時、私は九才でした。中国から引揚げてきた霧島の山のふもと、開拓地の暮しは、いつまでも貧しく、食べ物も充分ではありません。

 「そんなに勉強したいのなら」と許してもらった両親にも申し訳なく帰ることすら出来ませんでした。

 その夜は仕事を終えて戻る足も重く、黒光りした階段のあかりもぼんやりとしていました。

 ふすまをあけた途端、ふわっと甘い香、あわてて灯をつけました、なんと机の上にケーキ!!白いクリームの上に缶づめの大きなさくらんぼ、そのまわりにミカンが並んでいました。下宿されていた先生からの「頑張っているご褒美です」と手紙が添えてありました。

 あ見ていて下さったのだ、さっき迄の、沈んだ気持はふっ飛び嬉しくなりやがてあったかい涙があふれてきました。

 私は先生のようなやさしい気持をもっているだろうか? 自分の事しか考えられない生き方をしていないか? 自分自身に問いました。

 それからの私は御飯を炊き乍ら灰の中に、小枝で字を書き、たらいの中の泡でガラスに図を書き、風呂に水を汲み上げ乍ら単語をおぼえ、仕事は言われる前にやる、知ってるかぎり友達に教える、どんな人にも何の仕事をしている人にもやさしく決して卑下しない。

 「先生ありがとうございました、私、今日もがおで患者さん一人ひとりと向き合って、一日も早い回復のお手伝いをしています。」

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